『前世の記憶』について

   § 『前世の記憶』についての考察

 

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●1952年、コロラド州に住む実業家で、アマチュアの催眠術師でもある

 

モーリー・バーンスタインという人物が、地元のプエブロに住む知り合い

 

の主婦バージニア・タイという人に催眠術を行いました。彼は「退行催眠」

 

を行いましたが、誕生日前までに、彼女を引き戻してみました。

   

 すると、バージニアは、突然アイルランドなまりでしゃべり始め19世

 

紀にアイルランド南部のコークに住んでいたブランディー・マーフィーだと

 

乗りだしたのです。

 

 彼女は、父と母のこと、自分の結婚相手、結婚した場所や家や場所まで説明

 

を始めました。

 

 ところが、調査をしてみると、数多くの問題点が出てきました。

 

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●ブランディー・マーフィーは、1798年12月20日生まれで、1864

 

 年に

 

 yjimageSR0NOX82.jpg66歳で死亡したという事になっていましたが、彼女の記録はアイルランド

 

どの役所にも残っていなかったのです。

 

 yjimageSR0NOX82.jpg また、彼女と結婚したはずの法廷弁護士ショーン・ブライアン・マッカ

 

ーシーの名も、弁護士名簿にはありませんでした。

 

yjimageSR0NOX82.jpg また、二人が結婚式をしたという聖テレサ教会は1922年の設立で

 

 ブランディーが死んでから建てられた教会だったのです。また、彼女が住ん

 

 いたという家も記録もみつけることはできませんでした。

 

 

 ではなぜ、バージニアタイは、自分の前世をかたることができたのでし

 

うか?

 

 

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調べてみると、彼女にはアイルランド生まれの叔母がおり、彼女が子供の

 

ころに、その叔母からアイルランドに関するいろいろな話を聞かされて育

 

きたことが分かりました。

 

 

  また道路を挟んで向かい側の家に、ブランディー・マーフィー・コーケル

 

という名のアイルランド生まれの女性が住んでいたそうで、バージニア

 

ルランドの話をいろいろと聞かせていたということでした。

 

 

●バージニア大学医学部精神科のイアン・スティーブンス教授によってまとめ

 

られた『前世を記憶する20人の子供』に出てくる「イマッド・エラワー」と

 

いう人物は、生まれ変わりを証拠づける素晴らしい実例とされました。

 

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 イマッドは、1958年12月にレバノンのコーナエル村に生まれました

 

 

三歳の時に『前世はクリビイ村に住み、赤いハイヒールを履いた女ジェミ

 

 

がいて、屋根裏に銃を隠し持っていた・・・。』と突然言い出しました。

 

 現地に行って調べたスティーブンソンは、1949年9月に25歳で死ん

 

イブラヒムという男がいることを突き止めました。

 

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 イブラヒムの部屋の屋根裏を捜すと、確かにライフル銃が隠されていて、

 

には、当時めったになかった赤いハイヒールを履いていたジェミレという

 

がいたことが分かりました。

       

 

●ところが、詳しく調べてみると、様々な相違点が判明してきたのです。

 

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 イマッドが語っていたイブラヒムのメイベという名の娘も、アデルやタリ

 

ル、サリル、ケマルという名前の息子もいなかったことが分かりました。

   

 そもそも、イブラヒムは結核で、一度も結婚することがなく、25歳で

 

のまま死んでしまったのです。

 

 また、イマッドは、イブラヒムの母親が見分けられず、イブラヒムの実の

 

ことは、全く思い出すことができませんでした。

 

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●あとで詳しく述べますが、子供の場合では、前世の記憶が現れるのは、大半

 

 

が覚醒状態のときであるのです。

 

 

 つまり、目を覚ました直後に、このような話が非常に出やすいということ

 

 

 

 また、もうひとつ覚えておくべきことは、現在は貧しい家庭の子供だが、

 

 

世には、上流階級に属して裕福な暮らしをしていたと語る子供がいること、

 

 

に、階級社会であるインドに、数多くみられるという事実です。

 

 

 

  また、逆の例「今は裕福だが、前世は貧乏人だったという例」の報告が

 

 

んどないことも、忘れてはなりません。

 

 

                      『臨死体験』について1に続く→