「〇活から考える」2

〇 アフリカのある部族で・・・

 

 

 アフリカのある部族では、狩りに行くときに、木の棒道ばた

 

で拾い、それを立て掛け、こう言うそうです。

 

 「神様、どうか今回の猟を成功させてください。もし、獲物が

 

獲れましたら、もう一度拝みにまいります。」と。

 

 

 

s_ki.jpg

 

 

 それで猟に成功すれば、帰りにその棒に、礼を言って拝み

 

ます。

 

 けれども、もし、何も獲れなかった場合、彼は、その拝んでい

 

た木の棒をへし折り、投げ捨ててしまうというのです。

 

 

 

 何の根拠もないものを神として拝み、それが人の都合で取り扱

 

われているこの行為を、あなたは、どのように思われたで

 

しょうか。

 

 

 

 おそらく、何かしらの疑問を感じた方もいらっしゃること

 

しょう。 

 

 けれども、たくさんの人々が、実は、これと同様のことを行っ

 

ているのです。

 

 どんな根拠があるのかを知らずに、人に言われるまま、「ご利

 

益があるから・・・」とか「先祖から続いているから・・・」と

 

いう理由だけで、石や木で造られたもの(偶像)を拝み、その教

 

えを、なんとなく受け入れていることが多いのです。

 

 

 浄土真宗を例にして考えてみましょう。

 

 この教えでは、「阿弥陀仏が、かつて48の請願を立て、その

 

請願をすべて成就して仏になった。その請願のゆえに、すべての

 

者が救われる。」という教理が、最も中心に置かれています。

 

 

 ここで最も大切なことは、

 

「阿弥陀仏は、本当に実在しているのかどうか?」

 

ということです。

 

 

 彼は「十五劫の昔は人間であった。」と言いますが、それは、

 

「648億年の昔」ということになってしまいます。

 

 

 これは本当なのでしょうか。

 

 

 もし、本当の話でないならば、そこに信頼を置くことはむなし

 

いことにはならないのでしょうか。

 

 私たちは、自分の財産など大切なものに関して、それがどのよ

 

うに取り扱われるか、損失しないかなど心を配ります。倒産寸前

 

だと知りながら、そのような銀行に自分の財産を預けるような人

 

は、まずいないでしょう。

 

 

 そうであるならば、それ以上に大切な自分のたましいの永遠に

 

ついて、より深く考えるべきではないでしょうか。  

 

 

      

 

〇確かな備え

 

 

 

 聖書は、永遠のいのちと死後の世界について語っています。

 

 

 まず、『聖書』は、この世界を造られた本当の神様のご存在を

 

はっきりと述べております。

 

 

 この世界は、「造り主なしに偶然できたもの」なのか、「造り

 

主が造られた」のか、のどちらかしかありません。

 

 私たちが、人体や宇宙の複雑で精巧な仕組みについて真剣に考

 

えるならば、造り主なる神様のご存在は明らかです。

 

 

 

 s_planets_640.jpg

 

 

 しかし、人間は、この本当の神様を忘れ、自らの手で、神と呼

 

ばれるものを造り、それを拝むようになりました。

 

 

 また、その他にも、嘘や悪口・ねたみ・不正などの罪を行って

 

います。

 

 聖く正しいまことの神様は、私たちの心の中の思いも全てご存

 

知です。

 

 

 

『人はうわべを見るが、主(神様)は心を見る。』

        

          (聖書 Ⅰサムエル16章7節)

 

 

 

 ですから、全ての人間は、自分の罪のために、死後にさばきを

 

受けなければならないと聖書は警告しているのです。

 

 もし、このまま死んでしまうなら、全ての人間は、さばきを受

 

け、地獄に行かなければならないのです。

 

 

 ところが、神様は、罪人である私たち人間でさえも愛し、救い

 

の道を用意して下さいました。

 

 

 神の御子である主イエス・キリストが、人として、この世に来

 

られ、十字架にかかって下さったのです。

 

 主イエス様は、十字架の上で、私たちの全ての罪を背負い、身

 

代わりに罰を受けて下さいました。

 

 そして、イエス様は十字架にかかって死なれたのです。

 

 

 しかし、死後三日目に、主イエス・キリストは、よみがえって

 

下さいました。

 

 

 このお方を、まことの神、自分の救い主として信じる者は、罪

 

がゆるされ、永遠の天国に入れるいのちを持つことができるの

 

です。

 

                     「〇活から考える」3に続く→