西日本豪雨と福音1

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§豪雨と人々の選択

 

 

 

 今年の7月6日から7日にかけて中国地方を大雨が襲いました。

 

 特に、広島県や岡山県では、川の氾濫や堤防の決壊で甚大な被害

 

があり、島根県においても道路や家屋が浸水するなど、今もなお、

 

その痕跡を残しています。また、今回の豪雨において、地方自治体

 

でも避難指示や、避難勧告を発表し、多くの人が、その指示に基づ

 

いて、安全な場所へ移動しました。

 

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   ところが、そのような勧告を受けたにも関わらず、実際には、避

 

難されなかった方も多かったことが、後から分かりました。

 

 体が不自由で、やむを得ず、直ちに移動できなかった場合などを

 

、事前に身の安全を確保する時間や方法があったにも関わら

 

ず、避難行動を取らなかった場合において、少し考えてみたいの

 

です。

 

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  では、なぜ、このような、危機迫る状況において、避難をしな

 

かったのでしょうか?

 

 「 今回も、大丈夫だろうと思った…。」と話した方や「1階は

 

だめかもしれないが、2階へ上がればなんとかなるだろう…。」

 

と言う人もいました。

 

 

 しかし、もう少し 雨が長く降り続いたり、雨雲の位置があと

 

少し北寄りであたりすればおそらく無事では済まされなかっ

 

た事でしょう

 

 そう考えると「避難しない」という選択をすることによって、

 

自分のいのちを失う危険も十分にあったことになります。

 

 実際に、山陽地方ではそれが起こてしまいました

 

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§メリットとデメリット

 

 

 

 これらのことを通して考えなければならないことは「避難す

 

ることのメリットとデメリット」ではないでしょうか。

 

 避難することのデメリットとは、例えば、その晩、他の方たち

 

との共同生活で、気を遣わなければならないということがあるで

 

しょう。

 

 また、寝苦しい夜を過ごさなければならない事や、車中泊をし

 

なければならない事などが考えられます。

 

 一方のメリットは、間違いなく「自分のいのちが助かる」とい

 

うことです。

 

 洪水や土砂崩れが起きた場合、家に残っていれば死ぬ確率は、

 

かなり高いものになるでしょう。

 

 しかし、避難すれば自分のいのちは助かることができます。

 

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  もちろん、洪水が起こらなかった場合においては、避難をして

 

もしなくても、いのちは助かります。

 

 しかし、洪水が起こった場合、避難しないという選択は直ち

 

に自分のいのちを失うということに直結するのです。

 

 

 いのちが助かることと、寝苦しい夜を過ごさなければならない

 

ことは比較することなのでしょうか?

 

 

 客観的に見て、寝苦しい夜を過ごすのが嫌だからといって、水

 

に飲まれ、結局その命を失うことになったならば、その避難しな

 

かった人は、どう考えても愚かな選択をしてしまったと言わざる

 

を得ないでしょう。

 

 

 私たちは、他人事として考えるときには、何が最善で正しいの

 

かを、冷静に判断することができます。

 

 しかし自分の事として考えたときに、面倒なことはしたくな

 

いという理由だけで、破滅的選択をすることがあり得るのです。

 

 

 このことは、今回の出来事だけではなく、私たちの人生の他の

 

問題においても、しばしば起こることではないでしょうか。

 

 

 

  § いのちの「賭け」

 

 

 

 さて、17世紀に活躍した数学者・物理学者でありキリスト教

 

徒でもある「パスカル」という人物がいます

 

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   彼は、車のブレーキに用いられている油圧装置の仕組みの原理

 

パスカルの原理 〉を発見し、また、「人間は考える葦である」

 

という言葉を残したことでも有名です。

 

 その彼が著した「パンセ」という本では、次のように述べられ

 

ています。

 

 

~ もしあなたがイエスキリストを信じたらどのような損害を受け

 

 るだろうか…。

 

 私たち全ての者は、皆死ななければならない

 

 その後一体どこにいくのだろうか…

 

 キリストを信じている者たちは、死後自分たちは天国に行くと信じて

 

 いる。

 

 しかし もしもこの世界を造た神が存在せず聖書はでたらめで、

 

 キリストの復活も本当はなかたとしたらつまりキリスト信仰の根

 

 幹の部分が全部間ていたならば死後どうなてしまうだろう。

 

 その場合、キリストを信じている人も信じていない人も、死んだ後

 

 は何もないという事になるだろう

 

 しかし、聖書の語ているとおり、まことの神様がおられ、イエス・

 

 キリストの復活が真実であるならばどうなるだろうか…。

 

 間違いなくキリストを信じた者は永遠の天国に入ることができる。

  

 一方キリストを信じなかた者は、自分の犯してきた罪のゆえに裁

 

 かれ、永遠の地獄に行かなければならなくなる。

 

 キリストを信じることによて受ける損害よりも、キリストを信じない

 

 ことによる損害の方が圧倒的に多いのだ。

 

 キリストを信じた時あなたは実は何も損をしなかったことを知り

 

 全てのもの(永遠のいのち)を得たことを知るであろう。

 

 なんにせよ、あなたは、自分の人生をこのどちらかに必ず賭なけ

 

 ればならないのだ。~』と。(パンセ194〜233 要約)

 

 

 このパスカルの言葉を聞くと、皆さんはそんな事をじる

 

なんて「イワシの頭も信心からいうことわざじではな

 

いかと言われるかもしれません。

 

 

  確かに聖書の内容に 根拠がないならばの理屈は、

 

 違ってはいないでしょう。

 

 

 では、実際は、どうなのでしょうか。

  

 聖書の内容について見ていきたいと思います。

 

 

 

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