クリスマスの意味

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 毎年、12月に入ると、世界中どこへ行っても クリスマスのムー

ドが漂い始めます。ツリーが立ち、クリスマスの曲が流れ、

パーティーが開かれ、プレゼントを交換します。

 とても楽しいことです。

 

 しかし、そもそもクリスマスとは、何の日なのでしょうか。

 

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 実は、クリスマスは、ある人物の誕生を 記念して祝う日なの

です。

 

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 その人物は、約2000年前に生まれました。

 その生涯は約33年。 

 また、彼について、公に残っている人生の記録は、わずか三年半 

にしかすぎません。

 

 しかし、彼は、現在も世界に影響を与えています。毎週日曜日が

休みであるのも、この人の影響です。   

 また、紀元前(キリスト以前 B.C.)と 紀元後(主の年  

A.D.)は、この人の誕生を基準にして決められています。

 

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 では、この人とは誰なのでしょう。

 

 それは「イエス・キリスト」です。

 

 多くの人は、彼について「キリスト教を開いた人・宗教家・隣人

愛を説いた人」として知っています。     

 

 しかし、彼が語ったことを調べるなら、他の宗教の創始者とは全

 

く異なる点があることに気づかされます。

 

 

 例えば、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)は、仏教を開いた偉大な

 

教師ではあったのですが、自分を神と語ったことはありません

 

でした。(原始仏教の経典である「阿含経」を参照

 

 

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 また、イスラム教の開祖であるムハンマド(マホメット)の場合

 

も、彼は後に「神の預言者」と称しましたが、自身について、神と

 

は言いませんでした。

 

 

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 では、「イエス・キリスト」は、ご自身について、何と語ったの

 

でしょうか?

 

 

 聖書には、イエス・キリストの生涯と、彼が、語られた言葉が記

 

されています。

 

 

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◆『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通して

 

でなければ、だれも父()のみもとに行くことはできません。』

 

 

                       (聖書 ヨハネ14章6節)

 

 

◆『わたしと父とは一つです。』(聖書 ヨハネ10章30節)

 

 

◆『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死ん

 

でも生きるのです。』(聖書 ヨハネ11章25節)

 

 

 もし、私たちの友人や親戚が、このように自分のことを語り始め 

たならば、それが いかに非常識なことであるのか、想像できると思

います。

 

 つまり、キリストは、聖書に書かれているような人物か、精神を

病んだ人、もしくは 確信犯の嘘つきの いずれかになるのです。 

 しかし、もし、精神を病んだ人か嘘つきであれば、イエス・キリ

ストについて語っている聖書をどう扱えばよいのでしょう。

 現実に聖書は、歴史上重要な書物であり、世界中の人々に認めら

れてきました。そして、現在も多くの人が、キリストの聖い生涯

記録と世界史に与えた大きな影響力を受け、キリストを受け入れて

いるのです。 

 

 キリストについては、単なる聖人、偉大な宗教家という見方は、

全くできないのです。

 

 

◆ すでに記されていた・・・

 

 

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 また、彼について、特記すべきことが他にもあります。それは、

 

この方の生涯が、あらかじめ「預言されていた」と言うことです。      

 

 

 聖書は、その中身を大きく『新約聖書』と『旧約聖書』に分ける

 

ことができます。  

 

 

 『旧約聖書』はイエス・キリストが来られる400年前に完成し

 

ていた部分です。

 

 その旧約聖書には、

 

救い主が、どこで誕生するのか?

 

(ベツレヘムという町で。:ミカ書5章)

 

いつ頃、来られるのか?

 

(イスラエル人がバビロン捕囚から帰還をして、483年後。

 

 :ダニエル書9章)

 

どのような生涯を送られるのか?

 

(苦しみを受け、殺される。:イザヤ書53章)

 

と記されているのです。

 

『しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺され、私たちの咎の

 

ために砕かれたのだ。

 

 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、そのうち傷のゆえに、

 

私たちは癒された。

 

 私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向

 

かっていった。

 

 しかし主は私たちすべての咎を彼に負わせた。』 

 

                    (聖書 イザヤ書53章5節)

 

 この箇所にある 「すべての咎をに負わせた~」の「彼」

 

とはイエスキリストのことです。

 

 このイザヤ書は、キリストの歩みとあまりにも合致している

 

ため、彼の死後に書かれたのだと批判されていました。

 

 

 しかし、1947年イスラエルの死海北西の海岸近くの洞窟か

 

ら紀元前2世紀(イエス・キリストの生まれる100年以上前のも

 

の)の旧約聖書の写本が 数多く発見されたのです。

 

 

 この事実により、イエス・キリストが旧約聖書に預言されていた

 

救い主であることが明確にされました。

 

 

 彼は、このイザヤ書にある預言の通りのご生涯を歩まれました。

 

 

 そして、十字架にかかられたのでした。               

 

 では、なぜ、彼は十字架で死ななければならなかったので

 

しょうか?

 

 

 

◆ 支払われた代価

 

 

 

 聖書には、この世界を造られた本当の神様がおられると記されて

 

います。

 

 宇宙の様々な法則、また、自然界を見るならば、そこには秩序が

 

あることが分かります。

 

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 それらを設計された方、すなわち創造主がおられるのです。

 

 

『この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地

 

の主ですから手でこしらえた宮にお住みになりません。

 

~神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるの

 

ですから。』(聖書 使徒17章24・25節)

 

 

 しかし、私たち人間は、まことの神様を忘れ石や木で作られたも

 

のを神として拝むようになりました。

 

 また、その他に、嘘・偽り不正など、悪い行いをしています。

 

 

『人はうわべを見るが、主(神)は心を見る』

 

                  (聖書 Ⅰサムエル記16章7節)

 

 

 きよく正しい神様は、すべてをご存知です。私たちは、この方の

 

前に罪人です。

 

 また、自分の善行で自分の罪を償うことはできません。

 

 そのため、このままであると、私たちは死後自らの罪のために

 

地獄で裁きを受けなければならないのです。

 

 

『神は、一人ひとり、その人の行いに応じて 報いられます。』

                          (聖書 ローマ2章6節)  

 

『人間には、一度死ぬことと 死後に裁きを受けることが定まって

 

いる。』(聖書 へブル9章27節)

 

 

 けれども、神様は、このような罪人である私たちをも、なお愛し

 

て下さいました。

 

 神の御子イエスキリストが来られ、私たちのすべての罪・咎を

 

背負い、私たちの身代わりに罪の罰を受けて下さいました。 

            

 

『キリストは、すべての人の贖いの代価としてご自身をお与えになり

 

ました。』(聖書 Ⅰテモテ2章6節)

 

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 実に、十字架は、私たちを救うためであったのです。

 

 そして、イエスキリストは、ご自分が、真の神であり救い主で

 

る証拠として死後三日目によみがえられ、天に帰られました。

 

 

 イエス・キリストの十字架と復活が自分の罪のためであったと信

 

じる者は、誰でも罪がゆるされ、地獄から救われ、永遠のいのちを

 

持ち天国に行く者とされるのです。

 

 

 

『まことにまことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠の命を

 

持っています。』イエス・キリスト(聖書 ヨハネ6章47節) 

 

 

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 神様は、この救いを、あなたへの贈り物として用意して下さい

 

ました。

 

 ぜひ、あなたも、イエスキリストを信じ救われますよう、心よ

 

りお勧め致します。

 

『 私たちが神を愛したのではなく、 神が私たちを愛し、私たちの罪

 

のたに、宥めのささげ物としての御子(イエス・キリスト)を遣わ

 

されました。

 

ここに愛があるのです。』(聖書 Ⅰヨハネ4章10節)