§良きサマリア人

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2019年に、日本に上陸した

 

台風19号は、千葉県や宮城県

  

などの広い範囲の地域に甚大な

  

被害をもたらしました。

  

 河川が氾濫し、土砂災害や浸水

  

被害(約7万軒)があり、今も、

  

その復旧作業が行われています。

  

 

 このため国や地方自治体、

  

自衛隊等が対応にあたって

 

いますが、それ以外で大きな役割

  

を果たしているものがあります。 

 

 

それは、災害ボランティア

  

です。

 

 

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この台風19号の被災地に 

 

おいては、これまでに延べ

  

13万人以上の災害ボランティア

  

の方々が、土砂や災害廃棄物を 

 

運び、復旧・復興のための活動を 

 

行っています。  

 

 

また、長野県の豊野・長沼地区

 

 

においては、3000人もの

 

  

ボランティアが、自衛隊と連携 

 

して、500トン以上もの廃棄物

 

1日で運び出す作業がなされた

  

そうです。

 

  

 もし、このような労働力を、 

 

賃金を支払って得ようとする

  

なら、どれほどの金額になる 

  

でしょう。

 

  

 ボランティアの方がいるから 

 

こそ、困難な被災地の活動が

 

進み、また、大きな助けに

 

なっています。

  

 

 さて、聖書の中にも、人助けの

 

働きをした人の話が書かれて

  

います。 

 

 

『 良きサマリア人 』という話

  

です。

 

 

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『 さて、ある律法の専門家が

 

  立ち上がり、イエスを試みよう

 

 として言った。 

 

  「先生。何をしたら、永遠の

  

 いのちを受け継ぐことができる

 

 でしょうか。」・・・

  

・・・しかし彼は、自分が 

 

正しいことを示そうとしてイエス

 

 に言った。「では、私の隣人

 

 とはだれですか。」 

 

   イエスは答えられた。「ある

 

 人が、エルサレムからエリコへ

  

 下っていったが、強盗に

 

 襲われた。

  

  強盗たちはその人の着ている

 

 物をはぎ取り、殴りつけ、 

 

半殺しにしたまま立ち去った。 

 

  たまたま祭司が一人、その道

 

 を下って来たが、彼を見ると

  

 反対側を通り過ぎて行った。

 

  同じようにレビ人も、その

 

 場所に来て彼を見ると、反対側

 

 を通り過ぎて行った。

 

  ところが、旅をしていた一人

 

 のサマリア人は、その人の 

 

ところに来ると、見て

 

かわいそうに思った。

 

  そして近寄って、傷に

  

オリーブ油とぶどう酒を注いで 

 

包帯をし、自分の家畜に載せて

  

宿屋に連れて行って介抱した。

 

  次の日、彼はデナリ二枚を

 

 取り出し、宿屋の主人に 

 

渡して言った。『介抱して 

 

あげてください。もっと費用 

 

がかかったら、私が帰りに 

 

払います。』

 

  この三人の中でだれが、強盗

 

 に襲われた人の隣人になったと

 

 思いますか。」

  

  彼は言った。「その人に

 

 あわれみ深い行いをした人

 

 です。」

 

  するとイエスは言われた。

 

「あなたも行って、同じよう

 

 にしなさい。」』

 

(聖書 ルカ102537節)

  

 

 このたとえ話に出てくる 

 

サマリヤ人は、強盗に襲われ、

 

半死半生の旅人を助けたの

  

でした。

  

 彼が来るまでに、通りかかった

 

 祭司(当時の宗教家)やレビ人 

 

(祭司のもとで働く人)は、この 

 

瀕死の旅人を助けようともせず、

  

見て見ぬふりをして通り過ぎて 

 

行きました。

  

 

 けれども、サマリヤ人は、その

  

旅人を見て近寄り、手当てをし、

  

そればかりでなく、宿屋の代金や

  

必要な資金もすべて支払うと約束

  

したのでした。 

 

 このような働きをする人が 

 

いれば、なんと立派な人だろうと

 

誰もが思うはずです。

  

 

 しかも、さらに驚くべきこと

 

は、サマリヤ人が助けた旅人

 

は、サマリヤ人と最も仲が

 

悪かったユダヤ人であった

 

ことです。

  

 当時、ユダヤ人とサマリヤ人は

 

互いに挨拶をしないほど憎み

  

合っていた人々でした。 

 

 そのことを知れば、この

  

サマリヤ人のしたことが、

  

どれほど尊いことかが

 

分かります。

  

 

 さて、私たちは、自分の大切な

  

人や家族、親戚、友人であれば、 

 

親切にしたいと思い、また、自分

  

と関係する人には恩義に報いる

  

ためなど、快く犠牲を払うことも

 

あるでしょう。

 

 

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 しかし、自分を憎んでいる者に

 

対してそうすることは、実に

 

難しいことであるのです。

 

 

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では、この難しいことを、

 

イエスキリストは、せよと

 

言われたのでしょうか?  

 

実はそうではなく、私たちには 

 

そのような事ができない者で

 

あると教えるために言われた

 

のです。 

 

 

『 自分を愛してくれる者を愛

  

したからといって、何の報い

 

が受けられるでしょう。

 

 取税人(当時の不正を行う

 

 悪者の代表)でも同じことを

  

 しているではありませんか。

  

  また、自分の兄弟にだけ

 

 あいさつしたからといって、

 

 どれだけまさったことをした

 

  のでしょう。~』

  

(聖書マタイ6章46節 

 

イエス・キリスト) 

 

 

自分の最も嫌いな相手に、

 

心からの無償の愛をあなたは

 

示すことができるでしょうか。

  

イエス・キリストは、その

 

ような愛を示すことができない

 

私たちの本来の姿を教え諭す 

 

ために、このたとえ話を語られた

  

のです。 

 

 

 

 私たちはしばしば、他人と比較

  

することで自分を評価します。

  

 「自分は周りの人とも仲が

  

良く、ニュースに出てくるような

 

犯罪を行う者でもない。普通 

 

または、よい方の人間だ・・・。」

 

と、思いがちです。

 

  

 しかし、何を基準とするかで、

  

その評価は変わってきます。

  

 『 聖書 』は、人間について、

 

何と記しているのでしょうか。

   

 

『~すべての人が罪の下にある

 

からです。

 

…義人はいない。一人も 

 

いない。』 

 

(聖書 ローマ書3章10節)

  

 

『 私たちはみな、汚れた者の

  

ようになり私たちの義はみな 

 

不潔な着物のようです。』 

 

( 聖書 イザヤ書64章6節 )

  

  

『 人はうわべを見るが、 

 

主(神)は心を見る。』 

 

(聖書 Ⅰサムエル記167節)

 

  

このように、聖書には、人の

 

評価は神様の基準で決まるという

  

ことが記されています。 

 

その基準の一例が、あの

 

「良きサマリヤ人」です。

 

その基準に達しない人は、神の

  

前に良い人とは認められないの

  

です。

  

 

 つまり、私たちは罪人という事

  

になるのです。

 

  

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聖書には、この世界を造られた

  

唯一まことの神様が存在されると 

 

記しています。  

 

 

『はじめに神が天と地を創造 

 

された。』

 

(聖書 創世記1章1節) 

 

 

人は、これまでに、あらゆる

ものを調べ、それらの仕組みを

  

研究してきました。 

 

そして、自然界にある様々な

  

法則を見出し、それらに秩序が

 

ある事に驚嘆してきました。

 

 

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けれども、それらを創造された

 

方、神様については、何も考えて 

 

いなかったのです。

  

また、本当の神様は、人の手で

 

作られた金や銀、石で作られた 

 

ものではありません。 

 

人は、本当の神様を無視した

 

結果、罪を行い歩む者となって

 

しまいました。

 

 

私たちは、この罪の問題を、

  

自分の善行を積むことで、帳消し

  

にしたり、解決することは

  

できません。

 

 

罪から来る報酬は死です。 

 

私たちは、きよく正しい神様の

 

前にさばきを受け、このままで 

 

あれば、死後その罪の罰を燃える

  

火の池である地獄で受けなければ 

 

ならないのです。

 

 

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『 人間には、一度死ぬことと

 

 死後にさばきを 受けることが 

 

 定まっている。』 

 

(聖書 へブル9章27節) 

 

  

『 神は、一人ひとり、その人の

 

 行いに応じて報いられ

 

 ます。』    

 

     (聖書 ローマ書2章6節) 

 

 

 私たちには、冒頭の話に出て

 

きた瀕死の旅人と同様、救いと

 

助けが必要なのです。    

 

 そして、神様は、このような 

 

罪人の私たちでさえもなお愛し、

 

救いの道を用意されました。

  

 イエス・キリストこそ真の良き

  

サマリヤ人なのです。

 

 

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 神の御子イエス・キリストは、

  

今から約二千年前にこの世に 

 

来られました。

 

 彼は、きよいご生涯を送られ

  

ましたが、私たちのすべての罪を 

 

背負い、私たちの身代わりに罪の

  

罰を十字架で受けて下さい

 

ました。

  

 

 私たちが、払いきれない罪の 

 

代価を、キリストが身代わりに、

  

命を捨てて支払ってくださったの 

 

です。

 

 

 

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 そして、イエス・キリストは、

  

ご自身が まことの救い主で 

 

ある証拠として、死後三日目に

  

よみがえられました。

 

 

 だれでも、イエス・キリストの

  

十字架と 復活が、自分のため

 

であったと信じる人は、罪が 

 

ゆるされ地獄から救われ、天国に

  

行く者とされるのです。 

 

 

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『御子(イエス・キリスト)を

  

信じる者は永遠のいのちを 

 

持つ。』

 

(聖書 ヨハネ3章36節)

 

 

 私たちの人生で、最も困難で

  

最大の危機である死とその後の 

 

問題のために、イエスキリスト

 

が私たちを助けに来て下さい 

 

ました。

 

 

 どうか、あなたもこの方を 

 

ご自分の救い主として信じ、 

 

受け入れられますよう心より

 

お勧め致します。

  

 

『 キリスト・イエスは 罪人を

 

救うためにこの世に来られた。』

 

 (聖書 Ⅰテモテ1章15節)

 

 

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