愚かな金持ち

          『 ~ 聖書 ルカの福音書12章16節 

       

      「ある金持ちのたとえ話」より~ 』

 

 

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~ 『それからイエスは人々にたとえを話された。

 

「ある金持ちの畑が豊作であった。

 

彼は心の中で考えた。

 

『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』

 

そしてこう言った。

 

『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべ

 

てそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。

 

「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。

 

さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』

 

しかし、神は彼に言われた。「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから

 

り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」』

 

 

 

 

 

                         ~ 聖書 ルカ12章16節 より ~

 

 

 

§ これがあれば幸せ!?

 

 私た、「もう少し収入が多ければ、快適な生活ができる

 

のに...と、考えたりすることがあります。

 

 ではそうなったとしたら私たは本当に満足するのでしょ

 

うか?

 

 

 

 

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 アメリカハード大学のダエル・ギバート教

 

ある調査を行いまた。

 

 それは「人生の満足度を1から100という数で表したら

 

どれらいの数値になるかというものでした。

 

 

 金持ちの人や貧しい人、男女、人種と色々なパターンで調べた

 

結果、数値の均はほぼ 75で、その人の環境はあまり左右さ

 

れない分かた。

 

 

 さて、その事を踏まえた上で教授は次のような調査を行いま

 

した。

 

 それは「宝くじに当選し、一夜にて億万長者になった人

 

と「事故のために車椅子での生活を余儀なくされ

 

のグループで の数値を調べたのです。

 

 

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 このような出来事を体験した人たちの数値は、極端に

 

分かれた。

 

 

 しかし、一年後全く同グループを再調査した結果驚くべきこ

 

が分かったのです。

 

 金持ちになった人々も、障害を持った人々も、もとの75の満足

 

度にっていたのです。

 

 教授は「人は刺激に適応(慣れ)」と結論付けていますが、

 

に興味深結果でた。

 

 

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 ここから分かることは何かがないから不幸だとはいえない事

 

と、またお金(物があるから、幸せだというわけでもないという事

 

です。

 

 

 

§ 愚かな金持ち

 

 

 

 さて、冒頭に記されているイエス・キリが語った例え話は

 

『愚かな金持ちという題名で呼ばれてる箇所す。

 

 

 なぜ彼のことをそう呼ぶのでしょか。

 

 

 それは、この金持ちが、安心のよりどころをお金に置いて

 

、それさえあば、自分は幸せだと考ていたからです。

 

 その事は「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられ

 

た。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」とい言葉からも明らか

 

です。

 

 彼は、自分がり頼んでいたものが一瞬のうちに、その価

 

を失ってしまうことなど、考えてもみせんでした。

 

 

 しかし彼が愚かであったことは、そだけではあせん

 

その最大の理由は、この金持ちが自分自身にも、必ず死が訪

 

れることを 考えていなかったことにあるのです。

 

 

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§ その時あなたは・・・?

 

 

 

 死のことを考えてないといって自分の墓のことや葬儀、ま

 

た財産の相続等といったことは、この金持ちも考えいたかもし

 

れません。

 

 

 しかし、最も切なことすなわち「死後、自分のたましがど

 

に行くのか」について、彼は全く何の準備もしていかった

 

です。

 

 

 

 例えば、もし受験生が「受験なんて今考えなてもいい。受験

 

当日どうするか考えたらいい・・・。」と言えば、誰もが、なんと

 

愚かなことだと驚くことでしょう。

 

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 しかし、それ以上に、人間の「死」は、確実に起こることなの

 

です。

 

 

 ところが、この金持ちはそれが自分自身に起こるというこ

 

を全想定せずに生きていました。

 

 

 でから彼は愚かな金持ち」と呼ばれているのです。

 

 

 

 

 明日のことを 誇るな。

 

  一日のうちに何が起こるか、あなたはいのだか。』

 

              ( 聖書 箴言27章1節 )

 

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 しかし、このようなことは、現在でもうに行われているの

 

ではないでうか。

 

 現代くの方々も、終活や財産の相続、墓の準備等は考

 

ます。

 

 しかし肝心な自分のたましいの行き先については、深く考え

 

おられないようです。

 

 

 それは、なぜでしょうか?

 

その理由の一つに死後どこに行くのかが分からないということ

 

があるでしょう。

 

 

 たとえば浄土真宗を信じている方も、 に阿弥陀仏が

 

あなたを救て下さるの?」とたずねると「そうだと思い

 

ますが、実のころ分かりませんね...。」という答えが返ってくる

 

です。

 

 宗教の教えとして受け入れてはいるが、それ、「本当に間違い

 

事実か?と問われと、分からないのです。

 

 

 

 

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§ 死後に対する答え 

 

 

 

 では、実際のとろ、死後に対する明確な答えはあるので

 

しょうか。

 

 

 この世界の中で、最も多くの人々に読まている本があります。

 

それ『聖書』です。

 

 そこには

 

 

『 人間には、一度死ぬことと 死後にさばきを受けることがまっている 』

 

                          (聖書 ヘブル9章27節)

 

 

と記さています。

 

 

 聖書は、きよくい神様がおられること、また、人間は自分の

 

犯したえに、行いに応じて裁きを受けなければならない

 

こと、その裁きの場所は、燃える火の池の地獄であると語っている

 

のです。

 

 

 

 聖書の語る罪は、必ずしも犯罪を意味するわけではありません。

 

 「罪」とは、この世私たちを造らたまの神様を

 

認めず、人のによって造られた神々(偶像)を拝み自分勝手に的

 

な生方をていることなのです。

 

 

 また、の世界の創造主であるまことの神様のご存在は

 

私達の身近なものを通しても分かるのです。

 

 

 

 

 例ば、人間の体の中は、肝臓という器官があります。

 

肝臓は、五百種類以上もの働きをしている臓器です。

 

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 その非常に複雑な仕事は 大型の化学と同じで、もし、肝臓と

 

同じ能力もった工場を造ろうと思うなら、東京23区の面積全体

 

ほどの敷地必要になってしまいます。

 

 

  そのような人間英知を結集してもできない複雑な仕組みが

 

この体の中にきちんと納まているのです。

 

 

 私たちの体は進化論のいうように偶然勝手にできたものではな

 

く、人間よりも知恵のあるお方によって造られたのです 

 

『 神の御前に あらわでない被造物は ありません。

 

  神の目には すてが裸あり、さらけ出されてます

 

  この神に対して、私たちは 申し開きをするのです。』

 

                        (聖書 ヘブル4章13節)

 

 

 こまことの神様私たちは「神は 「いない」と言い

 

罪を犯し続けているのです。

 

 

 

§ 唯一の希望

 

 

 

 では、私たちは、地獄に行くしかいのしょうか。

 

 救の道はないでしょうか

 

 実はそうではあません。

 

 まことの神様はこのよう罪人の私たちでさえもなお愛して下さ

 

っているのです。

 

 神様は、その愛のゆえに、神のひとり子であるエス・キ

 

、遣わし十字架につて下さいました。

 

 イエス様は、私たちの全ての罪を背負われ身代わりに罪の罰を

 

け、十字架で死なれたのです。

 

 そして、死後三目に死を打ち破り復活され、救い主であること

 

を示れました。

 

 この復活を見た弟子たちは、その後イエス・ キリストの救いを宣

 

べ伝え「このお方こそ、 ことの神 救い主である」と証言

 

た。

 

 

 

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 その結果、彼らは捕らえられ、次々と殺されてったのです

 

それにもかかわらず、弟子たちが黙ることはありませんでし

 

彼らは、死んだ後、自分が、天国に行けることを心から確信して

 

た。

 

 

 現在に至るまで、キリスト教会が存在しているのは、弟子たちの

 

を懸た証があったからです。

 

 

 

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 このイエス・キリトこそ全ての人のための救い主です。

 

 このおを信る者は、罪がゆるされ、天国に行く永遠のいの

 

持つこができると、聖書は約束しています。

 

 

『信じる者は 永遠いのちをっています。

 

                 (エス・キリスト 聖書 ヨハネ6章47節)

 

 

 

  どうあなたも、イエス・キトの十字架の救いを信じ

 

れ、真の死後の解決得られますよう、心よお勧め

 

す。

 

 

 

 

 

 

 

 

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