色とかたちで認識されたもの

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コンクリートの塊(かたまり)が・・・・

 

 

 

 今から数年前のこと、ある珍しいものを見かけました

 

 

 それは、コンクリートをくり抜いたときにできる円柱形の塊に過

 

 

ぎないのですが、それに誰かが、赤い布の首巻き他の人が、

 

 

そこに供え物を置いていたのです

 

 

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これは一体どういうことなのでしょうか?

 

 それは、供をした人が、これ「神」して認識したという

 

ことなのです。

 

 もし、コンクリートの塊があっだけなら、そのようなものを

 

むことは、ありえないことでしょう。

 

 また、い首巻き拝むことも、これと同様です。

 

 

 

 

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 しかし、この二つを組み合わせたときに、人間は、平然とこれを

 

拝み、供え物を捧げてしまうのです

 

 

 

 コンクリの塊や赤い布が、神様ではないことは、子どもでも

 

認識できることです。

 

 

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 ところが、分があると言っている大人ですら、このような無意

 

な置物を、あたかも地蔵のように扱い、その前にひれ伏してしま

 

うとうことが、現実に起こってしまったのです

 

 

『 それ()間のために薪になり、はその一部を取って

 

り、これを燃やしてパンを焼く。

 

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 また神を造ってみ、れを偶像(うぞう:人の手造られた神)

 

に仕立て、これにひれ伏す。・・・・ひれ伏してそれを拝み、こう祈る。

 

私を救って下さい。あなたは私の神だから。」と

 

                    (聖書 イザヤ書44章15,17節)

 

 

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 この聖書言葉は、先程の置物だけではなく、世界中に見られる

 

造られた神々についても言えるのですほとんどの人が拝んでいる

 

神々というものは、いくら精巧にできていても、また古くでも、

 

もとは、石や木や金属でしかないのです。

 

 

 しかし、こう言われる方がおられるかもしませ

 

 「いやあそこの薬師さんの所に行って拝んだら、悪い目が良

 

くなった。だからあれは本物・・・」と。

 

 確かに、このような現象は、時には存在することがあります。

 

 

 しかし、 何か不思議なことが起こったからといって、その拝ん

 

でいるものが正しい?! という根拠にはなないのです。

 

 なぜなら「これを拝めば、病気が治る・金が儲かる人間関係が

 

くなった」などと言う主張は、どこの宗教団体にあることだ

 

からです。

 

 

 ただ言えることは漠然とながらも、ほとんどの人間は、初詣

 

や厄払いなどを行い、それら通して、霊的な存在を認めている

 

ということです

 

 

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 霊は確かに存在します。

 

 

 そして、聖書も、霊の存在を認めています

 

 

 しかし、このような警告もしているのです

 

 

『・・霊をすべて信じてはいけません。偽預言者が、たくん世にて来た

 

ので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。

 

                            (聖書 Ⅰヨハネ4章1節)

 

 『サタン(悪魔)え光の御使いに変装します。

 

                           (聖書 Ⅰコリント11章14節)

 

 

 ですから不思議な現象や霊が、 まことの神から来たものか、悪

 

から来たものかを判断しなければならないのです

 

 

 さて、まことの神様がおられるならば、神様は、その事実を示す

 

ことができるはずです。

 

 

 聖書はこう言ています。

 

 

『神の、目にえない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創

 

されたときから被造物を通して知られ、はっきりとめられるので、彼

 

らに解の余地はありません(聖書 ローマ1章20節)

 

 

『~あなたがたは神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようと

 

のか。』 (聖書 イザヤ40章18節)

 

 

 

 このように、まことの様は、人間が造った偶像のようなもの

 

ではなく、人間自然、宇宙を「造られた方」であることが分

 

かります。

 

 

 

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 また、まことの神様は、ご自分をある人々(預言者)に啓示され、

 

その人々を通して、人間『聖書』を与えられました

 

 そして、聖書を通して、まことの神様がいかなるお方かを、ま

 

た人間はどこから来て、どこに行くものかをはっきりと示され

 

たのです。

 

 

 また、聖書が真実であことを示すめ、聖書の中には、こ

 

ら起こるべき事柄=預言が数多く記されたです。

 

 そして、最も多く預言されていることの一つが、イエス・キリ

 

ストに関するものです

 

 その預言の数は、約320ほどあり、イエス・キリストのお生

 

れになる1500年前ら400年前にかけて書れました。

 

 

 その中には、キリストの誕生される時・場所・時代背景・ご生

 

涯・十字架の死・ 復活などがあり、それらはすべて成就したの

 

です。

 

 このような、預言の成就や歴史的事実を見るならば、私たちは

 

聖書』の 神様こそ、まことの神様であることを受け入れなけれ

 

ばならないのです。

 

 そして、神様は聖書を通し、すべての人々に次のように警告し

 

ておられるのです。

 

 

 

▶ 滅びの道、救いの道

 

 

 

・・不信仰な者・・人を殺す者、 淫らなことを行う者魔術を行なう者、

 

像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄の燃え

 

の中にある。これが第二の死である。』( 聖書 黙示録21章8節)

 

 

 

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 多くの人々が、良いことと思い、拝んでいる偶像は、実は確実

 

その人を滅ぼしてしまうものなのです。ちょうど、覚醒剤

 

一時的な活力を与えはするが、最後にはその人を滅ぼしてしまう

 

うに、どんなに御利益があるように見えても、まことの神様に

 

逆らい、人の手よって造られたものを拝むという罪を犯し続け

 

るなら、死後、永遠の地獄に行かなければならないのです。

 

 

 しかし、こ罪のきから、私たち人間を救うために来られたの

 

が、あのイエス・キリストなのです。

 

 このお方は、まことの神が、人として来られた方でした。

 

 そして、この罪のない主キリストが、私たちべての罪を身代

 

わりに背負い、十字架で死に、よみがえってさったのです。

 

 

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 聖書は、誰でも、イエス・キリストを信じる者には、罪のゆるし

 

と、永遠天国に行くいのちが与えられると約束しています。

 

 

 あなたも、まことの神様が愛をもって賜ってくださった、主イエ

 

ス・キリストを信じて、永遠のいのちを持たれますように、心から

 

お勧めいたします。