色とかたちで認識されたもの
▶コンクリートの塊(かたまり)が・・・・
今から数年前のこと、ある珍しいものを見かけました。
それは、コンクリートをくり抜いたときにできる円柱形の塊に過
ぎないのですが、それに誰かが、赤い布の首巻き着け、他の人が、
そこに供え物を置いていたのです。
これは一体どういうことなのでしょうか?
それは、供え物をした人が、これを「神」として認識したという
ことなのです。
もし、コンクリートの塊があっただけなら、そのようなものを拝
むことは、ありえないことでしょう。
また、赤い首巻きを拝むことも、これと同様です。
しかし、この二つを組み合わせたときに、人間は、平然とこれを
拝み、供え物を捧げてしまうのです。
コンクリートの塊や赤い布が、神様ではないことは、子どもでも
認識できることです。
ところが、分別があると言っている大人ですら、このような無意
味な置物を、あたかも地蔵のように扱い、その前にひれ伏してしま
うということが、現実に起こってしまったのです。
『 それ(木)は 人間のために薪になり、人はその一部を取って暖を取
り、これを燃やしてパンを焼く。
また、これで神を造って拝み、これを偶像(ぐうぞう:人の手で造られた神)
に仕立てて、これにひれ伏す。・・・・ひれ伏してそれを拝み、こう祈る。
「私を救って下さい。あなたは私の神だから。」と』
(聖書 イザヤ書44章15,17節)
この聖書の言葉は、先程の置物だけではなく、世界中に見られる
造られた神々についても言えるのです。ほとんどの人が拝んでいる
神々というものは、いくら精巧にできていても、また古くでも、
もとは、石や木や金属の塊でしかないのです。
しかし、こう言われる方がおられるかもしれません。
「いや、あそこの薬師さんの所に行って拝んだら、悪い目が良
くなった。だからあれは本物だ・・・」と。
確かに、このような現象は、時には存在することがあります。
しかし、 何か不思議なことが起こったからといって、その拝ん
でいるものが正しい?! という根拠にはならないのです。
なぜなら「これを拝めば、病気が治る・金が儲かる人間関係が
良くなった」などと言う主張は、どこの宗教団体にもあることだ
からです。
ただ言えることは、漠然とながらも、ほとんどの人間は、初詣
や厄払いなどを行い、それらを通して、霊的な存在を認めている
ということです。
霊は確かに存在します。
そして、聖書も、霊の存在を認めています。
しかし、このような警告もしているのです。
『・・霊をすべて信じてはいけません。偽預言者が、たくさん世に出て来た
ので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。』
(聖書 Ⅰヨハネ4章1節)
『サタン(悪魔)でさえ光の御使いに変装します。』
(聖書 Ⅰコリント11章14節)
ですから、不思議な現象や霊が、 まことの神から来たものか、悪
霊から来たものかを判断しなければならないのです。
さて、まことの神様がおられるならば、神様は、その事実を示す
ことができるはずです。
聖書はこう言っています。
『神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創
造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼
らに弁解の余地はありません。』(聖書 ローマ1章20節)
『~あなたがたは神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとす
るのか。』 (聖書 イザヤ40章18節)
このように、まことの神様は、人間が造った偶像のようなもの
ではなく、人間や自然、宇宙を「造られたお方」であることが分
かります。
また、まことの神様は、ご自分をある人々(預言者)に啓示され、
その人々を通して、人間に『聖書』を与えられました。
そして、聖書を通して、まことの神様がいかなるお方かを、ま
た人間はどこから来て、どこに行くものかを、はっきりと示され
たのです。
また、聖書が真実であることを示すため、聖書の中には、これ
から起こるべき事柄=預言が数多く記されたのです。
そして、最も多く預言されていることの一つが、イエス・キリ
ストに関するものです。
その預言の数は、約320ほどあり、イエス・キリストのお生
まれになる1500年前から400年前にかけて書かれました。
その中には、キリストの誕生される時・場所・時代背景・ご生
涯・十字架の死・ 復活などがあり、それらはすべて成就したの
です。
このような、預言の成就や歴史的事実を見るならば、私たちは
『聖書』の 神様こそ、まことの神様であることを受け入れなけれ
ばならないのです。
そして、神様は聖書を通し、すべての人々に次のように警告し
ておられるのです。
▶ 滅びの道、救いの道
『・・不信仰な者・・人を殺す者、 淫らなことを行う者、魔術を行なう者、
偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄の燃え
る池の中にある。これが第二の死である。』( 聖書 黙示録21章8節)
多くの人々が、良いことと思い、拝んでいる偶像は、実は確実
に、その人を滅ぼしてしまうものなのです。ちょうど、覚醒剤が
一時的な活力を与えはするが、最後にはその人を滅ぼしてしまう
ように、どんなに御利益があるように見えても、まことの神様に
逆らい、人の手によって造られたものを拝むという罪を犯し続け
るなら、死後、永遠の地獄に行かなければならないのです。
しかし、この罪の裁きから、私たち人間を救うために来られたの
が、あのイエス・キリストなのです。
このお方は、まことの神が、人として来られた方でした。
そして、この罪のない主キリストが、私たちのすべての罪を身代
わりに背負い、十字架で死に、よみがえって下さったのです。
聖書は、誰でも、イエス・キリストを信じる者には、罪のゆるし
と、永遠の天国に行くいのちが与えられると約束しています。
あなたも、まことの神様が愛をもって賜ってくださった、主イエ
ス・キリストを信じて、永遠のいのちを持たれますように、心から
お勧めいたします。

