§ 日本の宗教人口から考える

 

 

◆現在日本人宗教人口は約2億人(1億9700万人)です。これは、日本の総人口1億2714万人:平成26年4月現在)よりも多い数となっています。

 つまり一人当たり複数の宗教に入いるということになります文部科学省,宗教統計調査(平成25年による

 

 もっともこの調査はアンケ方式なので各宗教団体が水増しして多めに申告していることもあるようです。

 

 しかし、それとは別に、私たちは、年中行事や祭礼法要等を通して複数の宗教行事に参加していることも事実です。しかもほとんどの日本人は、それを変だとは感じていません。

 

 具体的に言うと、「神棚と仏壇」が共にあっても不思議には思わないのです。

 

 なぜ、おかしいと思わないのでしょうか?

 

 

その理由の一つに「とりあえず家の宗教がもともとそうだったから・・・。」ということもあるでしょう。

 しかし、最大の理由は、「所詮、宗教なんて、結局は皆同じで、これを信じれば間違いないというようなものはない。」という考え方があるようです。

 

 しかし、それで本当に良いのでしょうか?各宗教は、そもそも どのようなことを教えているのか、少し調べてみましょう・・・。

 

 

 

 

 

 

日本を代表する宗教に、『神道』がありますが、実は、神道には、「教え(教義)」がありません。

 

 その本質は、儀式と祝詞があるだけであり、そこにある考え方は『けがれを払う』というものです。けがれさえ払えば良いという考えですから、現実に起こる人生の困難、苦しみ病気死に対して、答えがないのです。

 

 

 

 

 

 

◆『仏教』は、浄土真宗に限定して言うと、この教えは、「阿弥陀如来()が、仏になる前の人間だった頃、四十八の誓願をたて、それを成就して、仏になった。その誓願の一つに「全ての者を救えなければ、仏にならない。」というものがあり、その誓願を成就したうえで、仏になったのだから、この阿弥陀如来を信じれば救われる。』というものです。

 

 しかし、その肝心な「阿弥陀如来」は、いつごろの人物かというと「十五劫の昔」なのです。

 一劫は「43億2000万年ですから、「648億年前の人間」 ということになるのです・・・。

 

 これは、もう空想話と言わざるをえません。 肝心な救い主がそうならば、そこで語られている  救いや極楽浄土も根拠のないものでしかありません

 

 これらのことは、多くの人が、薄々知っていますが、柔軟に各宗教を使い分ければ良いのではないかと、ほとんどの人は思っているようです。

 しかし、それは言い換えると、「確信を持てない。これだというものがない・・・」という状態なのです。

 

 

 

 

 

 

 

また、これらのこと以上に、私たちに大きな影響を与えているものが、『無神論』という思想です。

 「無神論」と聞くと「私の家には仏壇があるから無神論者ではない。」うかもしれませんがここで語ているのはこの世界を造られた創造主)の実在を信じているかどうか。」ということなのです

 

 つまり何かを拝んでいたとしても「この世界を造た神なんて本当にいるかどうかわからない。」とているのなら実質的には 、無神論を受け入れているのです

 

 そしてこの無神論は 「神が いないことを 前提に人生を考えなさい.などいないのだから死後は何もないと考えなさい・・・と私たちに教えているのです多くの方この思想を当然の事として受け入れ、日々過ごしておられるのです

 

しかし一見、科学的に思える無神論には、重大な欠点があります。 

 

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 まず、〝「神がいない」と、実証されているわけではない〟ということです。

 

 無神論という考えは、あくまでも、この世界を説明するひとつの「仮説」にすぎず、神がいないと仮定して、話を展開しているのです。   

 また造り主がいないということは「全てのものは偶然に存在しているだけだ。」ということになります。

 偶然できたものは、ちょうど部屋の隅にできた埃のようなもので、そのものに意味価値を見出すことはできません。

 

 つまり無神論」の考えを突き詰めると、あなた(人間)という存在には、目的も意味も価値もなく、そこにたまたま存在しているだけだ、ということになてしまうのです。

 

しかし、私たち人間や この世界は、本当に偶然たまたま存在しているのでしょうか? 

 

 この地球には、素晴らしい仕組みを持た生命が満ちあふれていますそして、たちは仕組みのあるものが、して、偶然勝手には できないことを知ているのです。

 

 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物(造られたもの)を通して知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はありません。』(聖書ローマ1章20節)

 

 

  

 

一つの例を考えてみましょう・・・。

 

 

 

 

◆・・・ 機械式の腕時計を、バラバラにして小さな箱に入れます。

 

 そして、時計の全ての部品が入ている その箱を振ります。

 振ることによ、箱の中にある部品に、エネルギーが与えられます。その動作を行い続けるのです。

 

 進化論(無神論)は、物質があって、エネルギーが加わり時間があれば、全てのものができると主張します。

 では、その箱を千年、一億年と振り続けたら、結果はどうなるでしうか? 

 

 答えは明白です。絶対にそれは、時計にはならないのです。

 

 けれども無神論(進化論)はいや長い時間をかければ時計になると 信じなさい・・・」と私たちに要求しているのです。

 

 

 

 

 

この世界に存在している生命の仕組みは、時計とは比較にならないほど複雑なものです。

 

 ということは生命が偶然によて存在するようになたという考えのほうが、実は、理に適ていないのです。

 

 先ほどの時計の例でも、部品を組み立てられる 知性を持った存在がいれば、数時間で時計は出来上がります。それと同じように、この世界が存在することそのものが創造者の存在を現わしているのです。


◆また、別の言い方をすれば、完成した時計があっても、人間が存在していなければ、「時計」そのものの本来の意味と価値が全うできません。

 

 それと同様に、人間を創造された神の存在を否定するならば、人間は何のために生きているのかが分からなくなり、自分の意味や価値を見失ってしまうのです。 

 

◆私たちは、本当の神様を忘れ、結果としてむなしく生きるようになり、また、死後は何もない、人は死んでそれで終わりだと、根拠もなく 思い、考えないようになてしまったのです。

 私たち人間は、きよく正しい神様を無視して逆らい自らさばきを受けるのにふさわしい罪人となてしまいました。

 聖書は、次のように語っています。

 

 『人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている』

      (聖書ヘブル9章27節)

 

しかし、神様は、このような私たちでさえなお愛して、救いの道を用意して下さいました。

 

 それが「救い主イエス・キリスト」です。   

 

 主イエスは、私たち全ての罪を背負われ、私たちの身代わりに、罪の罰を十字架で受けて下さいました。

 そして死後三日目に復活されご自身がまことの神・救い主であることを証明されました。

 あなたも、ただ この方を自分の救い主と信じるならば、罪のさばきである地獄から救われ、天国に行ける永遠のいのちがえられるのです。     

 

 『御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持っている』

      (聖書ヨハネ3章36節)

 

 そして、神様の前に、あなたの本当の価値と生きる目的と意味を知り、確信をもって歩むことができるのです。

 どうか、あなたも、まことの神様のご存在を認め、主イエスを信じ受け入れて下さいますよう心よりお勧め致します。