『新型コロナ 不安の原因』

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§ 未知の病への恐怖

 

  令和元年の12月から、中国の武漢から発生したと見られる

 

「新型コロナウイルス」の影響が、日本各地に及んでいます。

 

  感染拡大を防ぐために、全国の多くの学校が休校となりました。

 

また、大相撲では無観客試合、春の高校野球においては中止に

 

なるなど、前例のない対応がなされています。

 

さらに、不安感から、トイレットペーパーが買い占められる

 

など、通常にはない事柄も起こっています。

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なぜ、このような騒ぎになるのでしょうか?

 

それは、この病気に対して、今のところ決定的な治療方法が

 

なく、誰が発症してもおかしくないこと、つまり、この未知の

 

病気により、死ぬ可能性があるからです。

 

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私たちは、このようなことが起こると、普段は意識することが

 

ない自分の死について、考えざるを得ないようになるのです。

 

次に紹介する「ある青年」も、そのことについて悩んでいた

 

ひとりでした。

 

 

 ▶ある青年の証言         

 

「自分が死んだらどうなるのか、いくら考えても分からない。

 

様々な本を読んでも 全然すっきりしない…。」

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この青年は死を恐れながらも、その答えはどうせないだろうと、

 

半ばあきらめながら生きていました。

 

ところが、ある日、彼は、あまり会う機会のなかった自分の

 

いとこから衝撃的なことを聞きました。その人は「自分は、死ぬ

 

ことは怖くない!」と断言したのです。

 

彼のいとこは、キリストを信じていたクリスチャンでした。

 

その後、彼は、いとこが通う 教会に行く事になったのですが、

 

そこでは、神を信じる人々が礼拝を行っていました。

 

彼は、その光景を見て「この科学が発達した現代においても、

 

真面目に神を信じる人がいるとは…!」と驚いたそうです。

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 しかも、教会では「神様はご存在されます。進化論は間違い

 

です。私たちは、必ず、この神様の前に立たなければ

 

なりません。」という内容のことが語られていました。

 

彼は、それを聞き、非常に腹立たしく思いました。なぜなら、

 

「クリスチャンが、神がいると信じるのは勝手だが、

 

科学を否定することは間違っている…。」と思ったからです。

 

そこで彼は、日曜礼拝の後、一人のクリスチャンとずっと議論を

 

続けていました。

 

その中で、相手の人は、彼にこう質問してきました。

 

「君の腕にある腕時計は、どうやってできたのだろうか。勝手に

 

できたのだろうか。それとも、誰かが造ったのだろうか…?」と。

 

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彼は「誰かが造ったに決まっています!」と答えました。

 

すると、その人は、「その腕時計が造られているところを、

 

君は見ていないのに、なぜ、誰かが造ったと分かるのだろうか?」

 

と、尋ねたそうです。

 

彼は「こんなに複雑な仕組みがあるものが、勝手にできるわけが

 

ありません!」と答えました。

 

さらに、その人は、自動車についても同様な質問してきたので、

 

彼は同じように答えました。

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その後、相手の人は、「では、時計よりも 車よりも、難しく

 

できたものがあれば、あなたはどう考えますか?」と、聞いて

 

きたのです。

 

彼は、今まで答えてきたとおり「誰かが造ったに決まって

 

います!」と答えました。

 

すると、そのクリスチャンは、次のように語ったのでした。

 

 

「あなたの体は、時計や車よりも、はるかに難しい仕組みを持って

 

います。時計や車が勝手にできないのなら、あなたの体が進化に

 

よって偶然勝手にできたというのは、おかしいのではない

 

でしょうか。」と。

 

このことは、彼にとって、大きな転機となりました。その後、

 

彼は、進化が本当なのか、それとも、神が存在するのかを、今一度

 

考える必要があると思い、調べていきました。

 

そうして、彼は、この世界が造り主(創造主)なしにはできない

 

ことが、はっきり分かったのです。

 

この自然界を見るなら、そこには秩序や法則があります。

 

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その仕組みを造った方がおられることは、認めざるをえない事実

 

なのです。

 

 

『神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、

 

世界が創造されたときから被造物(ひぞうぶつ)神によて造られたもの

 

通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地は

 

ありません。』(聖書 ローマ1章20節)

 

 

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しかし、彼にはまだ、疑問な点がありました。

 

それは「神は存在するが、世界には数多くの宗教がある…。

 

本当の神とは、どの神なのだろうか?」ということでした。

 

しかし、この疑問にも、聖書は答えを持っていました。

 

クリスチャンは、聖書のなかには多くの「預言」がある事を彼に

 

教えてくれました。その預言の数は圧倒的で、イエス・キリストが

 

この世界に来られる預言だけで約320箇所もあるのです。

 

イエス・キリストが生まれる約400年前に完成した旧約聖書

 

には、どこの家系から生まれるのか、どの場所で生まれるのか、

 

いつ頃生まれるのか、またどのような人生を送り、どのような

 

死に方をするのかまで、はっきりと記されていたのです。

 

このようなことができる神は、聖書の神様しかおられません。

 

そして、イエス・キリストは、ご自分のことを次のように

 

述べられました。

 

『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』

 

(聖書 ヨハネ14章6節)                  

  

イエス・キリストは、このように語った後、十字架にかかり

 

死なれました。

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しかし、この方は、死後三日目に死の力を打ち破り、復活された

 

のです。

 

この復活は、確かな証拠のある史実です。

 

イエス・キリストの弟子たちは、この十字架と復活を宣べ伝えた

 

結果、多くの者が殺されていきました。けれども、激しい迫害の中

 

においても、生き残った人々は、復活の証言をやめませんでした。

 

当時の世界を支配していたローマ帝国が迫害をやめて、

 

キリスト教寛容令を出すまでに200万人ものキリスト信者が

 

殉教したと言われています。               

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なぜ、死をも恐れず、このようなことができたのでしょうか。

 

それは、イエス・キリストの復活が事実であり、そこに死後の

 

本物の救いと希望があったからです。嘘のために、このように命を

 

賭けることはできません。

 

聖書は、こう語っています。

 

 

『主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが

 

義と認められるために、よみがえられました。』

 

(聖書 ローマ4章25節)

 

 

『罪の報酬は死です。』(聖書 ローマ6章23節)

 

 

聖書は、神様が人の心の思いや行いをご存知であり、人間が、

 

きよく正しい神様の前に罪人であることと、死後に、自分の行いに

 

応じて、罪のさばきを、地獄である永遠の火の池で受けねば

 

ならないことを宣言しています。 

  

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『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが

 

定まっている』  (聖書 ヘブル9章27節)

 

 

しかし、神様は、このような罪人である私たちでさえも、なお、

 

愛して下さいました。

 

神のひとり子イエス・キリストが、私たちの全ての罪を背負い、

 

十字架にかかり、罪の罰を身代わりに受け、死んで下さいました。

 

そして、イエス・キリストは、よみがえりを通して、ご自身が、

 

まことの神であり救い主であることを世界に現わされました。

 

この方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことが

 

なく、天国に行くことができると、聖書は約束しているのです。

 

 

『神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えに

 

なったほどに世を愛された。

 

それは御子(キリスト)を信じる者が、一人として滅びること

 

なく、永遠のいのちを持つためである。』

 

(聖書 ヨハネ3章16節)

 

 

前述の青年もキリストを信じ、死後の問題の解決を得ました。

 

もはや、死は恐怖でなく、天国に行く前の通過点となりました。

 

このイエス・キリストにある救いを、ぜひ、あなたも信じ、

 

受け入れられますように、心よりお勧め致します。

 

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