§ 復活は事実か否か?

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 数年前、ある著名な僧侶が、死

 

 

を考えるというテーマで、テレビ

 

で講演をしていました。

 

 その話を聞くと「人は皆、死に

 

向かって生きている。だから、死

 

ということは、とても大切な

 

問題だ。

 

 ただし、私たちは、死について

 

何も分からない。だから、今を

 

どう生きるのか、それが大事な

 

ことだ。」という内容でした。

 

 

 残念なことに、この僧侶は、死

 

については何も分からないものと

 

思い込んでいたのです。

 

 しかし、それは、この僧侶だけ

 

ではありません。江戸時代後期に

 

活躍した、禅宗の僧侶である

 

良寛尚も、老齢と病に苦しみ

 

ながら、次のように歌って

 

います。

 

~ 今よりは

 

   何か頼まむかたもなし

 

    教えてたまへ 

 

     のちの世のこと ~

 

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 これは、「年を取った今と

 

なっては、何を頼りにしたら、

 

よいのだろう。

 

 死んでからの、あの世とい

 

ものを教えてほしいものだ。」

 

いう歌です。

 

 私(当教会牧師。以下同じ)

 

身も、同じよう思ったことが

 

ありました。

 

 それは、私が、高校生の時の

 

ことです。

 

 学校から帰ると、家には誰も

 

ませんでした。

 

 しばらくして母親から電話が

 

あり、祖父が倒れたから病院に

 

来てほしいと言われました

 

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 私は 祖父が、その日の朝「腹が

 

痛い・・・。」と辛い表情で言って

 

いたのを思い出しました。

 

 私だけでなく、親戚の者たちも

 

病院へ行ったのですが、祖父は、

 

その日の晩に亡くなりました。

 

 その後、葬儀を行い、火葬を

 

骨を拾う時に、 私は思い

 

ました。

 

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「 一週間前までは、元気だった

 

父は、骨になってしまった…。

 

今は、どこに行ってしまったの

 

だろう・・・。」と。

 

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 年を重ねていても、若くても、

 

死は、容赦なく訪れます。

 

 そして、死んだ後について、

 

まざまな事が語られています。

 

 しかし、語っている人が、

 

死んで生き返っていない以上、

 

本当のとは分からないのです。

 

(臨死体験者は本当に死んだわけ

 

ではありません。)

 

 

 つまり、死とその後について、

 

語る資格がある人は、死んで、

 

生き返ったことのある人だけ

 

なのです。

 

 

 さて、『聖書』には、

 

「イエス・キリストが、十字架で

 

 死なれ後、復活された」

 

と、はっきりと記されています。

 

〝 復活 〟と聞くと「そんな事が

 

起こるはずがない…。」という人

 

がほとんどでしょう。

 

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 アメリカのニューメキシコ準州

 

の知事で、学者でもあった

 

ルー・ウォレス も、そのうちの

 

ひとりでした。

 

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  彼は、無神論者で、あるとき、

 

聖書と教会に反対する本を書こう

 

と思いました。

 

 そして何年もかけて、聖書と

 

リストの復活を否定する資料を

 

めたのです。

 

 

 しかし、その結果として、聖書

 

の真実性と、キリストの復活を

 

否定できなくなり、彼自身が、

 

クリスチャンになってしまった

 

のです。

 

 彼はその集めた資料で別の本

 

を書きました。

 

 その本は、後に映画にもなり、

 

アカデミー賞の、史上最多部

 

受賞作品の一つとなった、

 

「ベン・ハー」です。

 

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 このように、歴史を調べていく

 

ならば、復活が作り話ではなく、

 

事実であることが分かるように

 

なるのです。

 

 現代の私たちも、公平に検討

 

していくならば、少なくとも、

 

事実ざるを得ない出来事が

 

いくつかります。

 

 ①キリストの弟子たちが、皆、

 

  彼を見捨てて逃げ出した

 

  こと。

 

 ②キリストが十字架で処刑

 

  されたこと。

 

 ③キリストの遺体が、墓の中

 

  からくなったこと。

 

 ④逃げ出してしまった弟子たち

 

  が、キリストの死のすぐ後

 

  から死を恐れず、キリストの

 

  復活を人々に伝えて、殉

 

  していったこと。

 

 ⑤その結果、キリスト教会が

 

  誕生していったこと。

 

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 これらのことは、どの百科事典

 

にも記されている事実です。

 

 では、なぜイエス・キリストを

 

見捨てて逃げ出し、保身に走った

 

はずの弟子たちが、命の危険を

 

してまでもイエス・キリスト

 

復活を語ることができたの

 

でしょうか?

 

 例えば ペテロという弟子は、

 

エス・キリストがローマ兵たち

 

捕まってしまった後に、

 

「そんな人(イエス・リスト)

 

知らない…。」と三度も否定して

 

逮捕を逃れようとしました。

 

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 しかし、その後に、復活した

 

キリストをたペテロはキリスト

 

が十字架刑となるように主導した

 

張本人であるカヤパという人物の

 

前でこう言ったのです。

 

『 あなたがたが十字架に

 

 つけ、神が死者の中から

 

 よみがえらせナザレ人

 

 イエス・キリストの名による

 

 ことです。                 

 

 ~この方 (キリスト)以外には、

 

 だれによっても 救いはあり

 

 ません。

 

  天の下でこの御名のほかに、

 

 私たちが 救われるべき名は

 

  人間に与えられていないから

 

  です。』

 

  (聖書 使徒4612節)

 

 このように全ての弟子たちは、

 

敵対する権力者たちの目の前で、

 

命がけでキリストの復活の事実を

 

宣べ伝えました。

 

 そしてほとんどの弟子たちが、

 

復活を語った結果として、殉

 

するに至ったのです。

 

 なぜ、このような事ができた

 

のでしょうか。

 

 それは、彼らが、キリストの

 

復活をその目で見て、死と死後

 

対する完全な答えを得たから

 

です。

 

 それ以外に、彼らの行動を

 

明することはできません。

 

 このことは、キリスト信者で

 

なくとも、認めざるを得ない、

 

歴史上の事実なのです。

 

「歴史上、これを比較し匹敵し

 

 得る事実が他にあろうか。

 

 吾人はなしといわねばならぬ

 

 のである。」

 

(基督教の起源:

 

      岩波文庫 引用)

 

「復活~死からのよみがえり~

 

 と呼ばれるような事件があって

 

 はじめて納得がゆくのです。」

 

(歴史の中のイエス像:

 

     NHKブックス 引用)

 

 

 それでは、なぜ、キリストは

 

十字架にかかって死に、葬られ、

 

復活されたのでしょうか。

 

 それは、私たち人間を救うため

 

でした。

 

 『 キリスト・イエスは

 

    罪人を救うために

 

       世に来られた。』

 

(聖書 Ⅰテモテ1章15節)

 

 聖書には、私たち人間が、この

 

世界を造られた まことの神様を

 

忘れて生きていると記して

 

います。

 

 この宇宙や自然界には、法則や

 

秩序があります。

 

 それらを造られたお方が存在

 

されるのです。

 

 また、神様はきよく正しいお方

 

です。

 

 私たちが心の中で思っている

 

悪い考え・ねたみ・悪口・高慢

 

を、神様は全て知って

 

おられ、それらの「罪」を

 

裁かれるのです。

 

 聖書の語る「罪」は犯罪だけを

 

意味しているのではありません。

 

 すべての人は罪を犯したのだと

 

聖書は宣言しているのです。

 

 罪人である私たち人間は、

 

このままだと死後、これらの罪

 

きを受けなければならないと

 

聖書に記されているのです。

 

『 人間には、一度死ぬことと

 

 死後にさばきを受けることが

 

 定まっている』

 

 (聖書ヘブル9章27節)

 

『 偶像を拝む者、すべて偽りを

 

 言う者たちが受ける分は、

 

 火と硫黄の燃る池の中に

 

 ある。

 

  これが第二の死である』

 

 (聖書 黙示21章8節)

 

 

 しかし、神様は、このような

 

罪人である私たちを、なおも

 

愛してくださいました。

 

 神の御子イエス・キリストが、

 

私たちの罪を、十字架の上で

 

背負い、私たちの身代わりに罪の

 

罰を受けて下さったのです。

 

 主イエス・キリストの死は、

 

あなたの罪をゆるすためのもの

 

ったのです。

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『 しかし、私たちがまだ罪人で

 

 あったときキリストが私たちの

 

 ために死なれたことによって、

 

 神は私たちに対するご自身の

 

 愛を明らかにしておられ

 

 ます。』

 

 (聖書 ローマ6章8節)

 

 イエス・キリストの十字架と

 

復活が、自分の罪のためであった

 

信じる者は、罪がゆるされ、

 

死後のさばきである永遠の地獄

 

ら救われ、永遠のいのちを

 

持ち、天国に行く者とされるの

 

です。

 

 死と、死後に対する解決の

 

道が、主イエス・キリストの

 

うちにはあるのです。

 

 どうか、あなたのために死後

 

救いの道を備えて下さった 主

 

イエス・キリストを信じ、

 

受け入れられますようお勧め

 

致します。

 

~ わたしは 

 

    よみがえりです。

 

      いのちです。~ 

 

     (イエス・キリスト) 

 

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