人の心を満たすもの

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● ぼんやりした 不安

 

 

「五月病」という言葉を、皆さんも一度は聞かれたことがあると思

 

います。

 

 新しい学校や、職場に入ると、最初の頃は、高揚感や期待感を 

 

誰しも感じるものです。

 

 

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 ところが、一ヶ月、二ヶ月と経つと、人間関係や環境が、自分の

 

思い描いていたものとは違うことに段々と気づいていき、「このま

 

までいいのだろうか…。」と不安に思い、むなしさが込み上げてく

 

ることもあるのです。

 

 

 

 

 

 

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 大正から昭和の時代に生きた文豪の芥川龍之介も、『或旧友へ送

 

る手記』という作品の中で「・・・何か僕の将来に対する 唯 ぼんやり

 

した不安である。」と記して、自らの不安とむなしさを吐露してい

 

ます。( 彼はこの後、自殺しました。)

 

 

 さて、このような事を聞くと「辛く苦しい立場にある人や、何か

 

困ったことがある人が、追い詰められた結果、不安に思ったりする

 

のだろう」と、考える人もいるかもしれません。

 

 しかし、必ずしもそうだとは言えないのです。なぜならその逆

 

で、全く何の心配もないはずの人でも、同じように空しくなること

 

があるからです。

 

 

 

 

● 幸せ…?

 

 

 その代表者が、古代イスラエルの王「ソロモン」です。

 

 彼は〝ソロモンの知恵〟という言葉が今でも残っているほどの知

 

恵を持っていました。彼があまりにも賢いために、近隣諸国は、彼

 

と戦争しようと考えたことは一度もありませんでした。また絶大な

 

る権力もあり、そして、信じられないほどの大金持ちでした。

 

 

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 そのソロモンが、自分のしたいことを全て行った後の感想が、

 

書に記されています。

 

 

『空の空。すべては空。…しかし、私は自分が手がけたあらゆる

 

業と、そのために骨折った労苦を振り返った。見よ。すべては

 

空しく、風を追うようなものだ。…』

 

               (聖書 伝道者の書1章2章)

 

 

 

 

 

 ソロモンは、誰しもこうなれたら幸せだろうな、と人間が思う全

 

てのものを持っていた人物でした。しかしその彼の内にも、どうし

 

ようもない人生のむなしさがあったのです。

 

 

 そして私たちのなかにも、そのようなむなしさは、あるのではな

 

いでしょうか。

 

 たとえ仕事のやりがいがあり、順調であっても、また家族がい

 

て、皆の仲が良くても、どうしようもないむなしさに襲われること

 

があるのです。

 

 

 この原因はいったい何なのでしょう?

 

 

 『人はパンだけで生きるのではない』 と、イエス・キリストは

 

れました。

 

 ソロモンの例からもわかるように、私たちは物質的な豊かさだけ

 

では満足できないのです。

 

 

 私たちは、自分の生きる意味を求めています。人生とは何か、人

 

は何のために生きるかを知りたいという願いを持っているのです。

 

 多くの方は、この問題を考えることをやめてしまっています。

 

 しかし、それは遅かれ早かれ、誰もが直面しなければならない問

 

題です。なぜなら、私たちは、必ず死ななければならないから

 

です。

 

 死を前にした時、私たちは、このことを考えないわけにはいかな

 

いからです。

 

 

 

 

 

● 人の心に空いた穴

 

 

 人は何のために生きるのか。

 

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 17世紀の科学者・哲学者であるパスカルという人物は、次のよ

 

うに述べました。

 

 

hole_in_heart.jpg「人の心には神の形をした空洞がある。」と。

 

 

つまり彼は、人の心を満たすものは、創造者であるまことの神以

 

外にはない、と言っているのです。

 

 

 パスカルがいつも読んでいた聖書には、この世界を造られたまこ

 

との神様が、存在されると、断言されています。しかしこれは本当

 

でしょうか。本当なら、どのようにして、神様がおられることが分

 

かるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 たとえば、一輪の花を見てみましょう。

 

最近では、色彩や形状が、本物に良く似せられた造花があり

 

ます。

 

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その造花は、水をやる必要もなく枯れることもありません。

 

生活を彩る装飾という意味では、とても便利なものです。

 

 

しかし、そこには生命はありません。

 

 

 

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 ところが、道端で咲いているタンポポの花を見ると、その花に、

 

蜜を吸うために虫たちがやって来た後、しばらくすると茎を横たえ

 

てしまいます。その後、再び茎が持ち上がり、しぼんだ花は綿毛に

 

変わり、風に乗ってタンポポの種が舞い広がっていきます。そして

 

次の生命を生み出していくのです。

 

 春になれば、どこでも当たり前のように見る光景の一つですが、

 

そこには、造花にはない生命の仕組みが、営まれているのです。

 

 

 私たちは、造花ですら、実際にその造られている工場に行って見

 

たわけでもないのに、誰かによって造られたものだと分かります。

 

 造花が偶然勝手にできたという人は、誰もいません。

 

 

 

 まして、それ以上に複雑な仕組みをもつ草花、動物、人間が、偶

 

然勝手に進化してできることは、ありえません

 

 

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『神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、

 

世界が創造されたときから被造物(この世界にあるもの)を

 

通して知られ、はっきりと 認められるので、彼らに 弁解の

 

余地はありません。』(聖書 ローマ書1章20節)

 

 

 

 

 

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   聖書には、この生命と仕組みを創造し設計された神様がおられ

 

る、と書かれています。

 

 

 

 

● むなしさの行きつく先

 

 

 

 また『神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったもの

 

と同じであると、考えるべきではありません。』

 

               (聖書 使徒17章29節)

 

とも記しています。

 

 

 しかし、私たち人間は、まことの神様を認めず、神様から離れて

 

生きる者となり、金や銀や石で作られた神々(偶像)にひれ伏すもの

 

になりました。またそれ以外にも、嘘・悪口・憎しみ・争いなどの

 

罪を行うようになりました。

 

 聖書に記されている『罪』という言葉は「的外れ」という意味

 

です。

 

 

 

 まことの神様と共に生きるべき人間が、偶像を拝み、罪を罪とし

 

て理解できない様は、まさしく的外れな状態なのです。その結果、

 

私たちは、人生において、どうしようもない〝むなしさ〟を抱えて

 

生きる存在になってしまったのです。

 

 

 

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 そればかりでなく、このままでは、聖く正しいまことの神様の前

 

で、死後、私たちは、自分の犯してきた罪のさばきを受け、燃える

 

火の池である地獄に行かねばならないのです。

 

 

『神は、一人ひとり、その人の行いに応じて報いられます。』

 

                 (聖書 ローマ2章6節)

 

 

『神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべ

 

のわざをさばかれるからである。』

 

             (聖書 伝道者の書12章14節)

 

 

 

 

● 神の愛

 

 

 しかし、神様は、このような罪人である私たちでさえも、愛して

 

下さり、私たちが救われる道を用意して下さいました。

 

 

 神の御子、イエス・キリストが、この世に来られ、私たちの全て

 

の罪を身代わりに背負い、十字架で罪の罰を受けて下さいました。

 

 そして、主イエス・キリストは、まことの神であり、救い主であ

 

る証拠として、死後三日目の日曜日の朝によみがえられました。

 

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 誰でも、主イエス・キリストを自分の神、救い主と信じる者は、

 

罪がゆるされ、天国に行くことができる永遠のいのちが与えられる

 

のです。

 

 

『 神は そのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、

 

その方によって私 たちにいのちを得させてくださいました。

 

それによって 神の愛が私たちに示されたのです。

 

私たちが 神を愛したのではなく、

 

神が 私たちを愛し、私たちの罪のために、

 

宥めのささげ物としての御子(イエス・キリスト)を

 

遣わされました。ここに 愛があるのです。』

 

              (聖書 Ⅰヨハネ4章9節~)

 

 

 まことの神様は、私たちが、ご自身のもとに帰ってくるのを待っ

 

ておられます。

 

 

 どうか、あなたも、主イエス・キリストをご自分の救い主として

 

信じられ、まことの救いを得られますように。そして、神様の愛を

 

知り、生きる本当の意味を見出されますよう、心よりお勧め致し

 

ます。