§ 私は、エホバの証人の研究生でした…
現在、または、かつてエホバの証人(ものみの塔)での聖書の学びを受けた方へ
それが、聖書からの本当の教えかどうかを、ぜひ考えて頂きたいのです。
§私は、エホバの証人の研究生でした…
私は、以前、二年半の間『エホバの証人』の学びを受けていました。「あなたも地上の楽園で永遠に生きられます」というテキストもほとんどマスターし、集会にも時々出席していました。そして、彼らの教理も理解し、祈りにも参加していたのに、エホバの証人にはなれませんでした。
なぜかというと、私にはあんなに毎日、家々を回って伝道できないし、そのうえ子供がいるのでそんな活動はできないと思いました。
そんな思いとともに「もっと私がしっかりして、ハルマゲドンで生き残るために、エホバの組織でバプテスマを受け、一員となり、皆を導かなければならない・・・。」という思いもありました。
こういった二つの思いの中で、私は、ひどいジレンマに陥りました。
折しも、当時はイラクがクウェートを侵略した時代で、世の終わりを近くに感じた時でした。
ノイローゼ気味になり、「でも、こんなことは相談してもわかってくれる人などいるのだろうか?」と悩みました。
そんな時、クリスチャンの友達とばったり会い、聖書について話す機会が与えらえました。
エホバの組織では否定していた「イエス・キリストを救い主として受け入れる(信じる)だけで救われる」という事が、聖書にきちんんと書かれているのを見て、目からうろこが落ちる思いでした。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
(聖書ヨハネ3章16節)
信じるだけで、イエス様は救ってくださる。罪深い私を神様が救ってくださることを知り、今は感謝でいっぱいです。
かつて、あんなに苦しんでいたのが、うそのようです・・・。
(大阪府在住 主婦の方)
これは、ひとりの方の体験談ですが、エホバの証人から聖書の学びを受けておられる多くの方が、同じ悩みを持っておられます。
そのような方々に聖書の真理を正しく知っていただくために作成されました。
もし、あなたやあなたの知り合いの方が、エホバの証人の学びを受けておられるなら、ぜひ、知っていただきたいのです。
『聖書を開けてみましょう…。』
私たちキリスト教会は、聖書が誤りのない『神のことば』であると信じています。そして、エホバの証人も同じことを信じているといいます。ところが、両者の教えの間には、全く違う点が多くあるのです。
例えば、「 救われるために何が必要か? 」という点です。
エホバの証人の組織である「ものみの塔」の出版物には、永遠に生きるためにあなたが行うべき事柄は「必要なのは、信仰だけではありません。エホバに対して抱いている本当の気持ちを表す業もなければなりません。」(エホバの証人の書物:「楽園」P250) とあります。
一方、教会では「ただイエス・キリストを信じる信仰によって救われる。」と宣べ伝えています。
では、どちらが真理なのでしょうか?
真理を正しく理解するためには、聖書そのものを調べる必要があります。
たとえ、教えている人が、どんなに真面目で誠実な人物であったとしても、聖書の真理に反することを宣べ伝えているなら、そのような人物は、のろわれるべきであると、聖書は宣告しています。
『しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。』
(聖書 ガラテヤ書1章8節)
私たちに真理を教え、私たちを導くことができるのは、聖書だけです。
どのような組織の教えでも、聖書と一致していないなら、それは、真理ではありません。
ですから、真理を知るために、人間が書いた解説書や参考書ばかりを読んだとしても、肝心の聖書から離れてしまうのであれば、そのような教えは、その人自身を、また、他の人をも救いに導くことはできません。
まず、以下の聖句をご覧ください。引用しているのは、日本聖書刊行会発行の『新改訳聖書』です。(一般にキリスト教会で多く用いられている聖書です。)
また、エホバの証人の研究生の方で、ものみの塔の発行する「新世界訳」しかお手元にない方でも、照らし合わせてご覧ください。
『 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それは、あなたがたから出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも、誇ることのないためです。』
(聖書エペソ2章8~9節、新世界訳エフェソス2章の同箇所)
この聖句には、「救いは信仰による、人の行いによるのではない。」とはっきりと記されています。また「恵み」(新世界訳:過分の親切)によると書かれていますが、それによっても「行い(業)によるのではない」と分かります。

