聖書はどう語っているか?
『もし恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなります。』 (聖書ローマ11章6節)
これらのみことばに、はっきりと書いてあるように、神の救いは、信じる者に恵みによって、与えられるものであり、賜物(たまもの)、プレゼントなのです。
したがって、人間が、自分の行いによって、神からの救いを得るのではないのです。
以下の聖句にはこう記されています。
『働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払うべきものとみなされます。しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。』(聖書ローマ4章4~5節)
『神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。』(テトス3章5節)
『神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自分の計画と恵みによるものでした。』 (第二テモテ1章9節)
『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。』 (ヨハネの福音書1章12節~13節)
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』 (ヨハネの福音書3章16節)
その他にも、聖書のあらゆる箇所で、信仰による救いは記されています。
新世界訳においては「信仰を働かせる」ということばで置き換えられていますが、それは、単純に神の救いを受け取ることなのです。
つづく・・・

