イエス・キリストの復活
エホバの証人では、「イエス・キリストは肉体をもって
ではなく、霊のからだで復活した。」と学びます。
一方、通常のキリスト教会では、「イエス・キリストは肉体を
もって復活した。」と学びます。
エホバの証人もキリスト教会も聖書を学んでおり、
イエス・キリストの復活は事実であると認めています。
しかし、復活に対する理解が大きく異なっています。
果たして、聖書は、イエス・キリストの復活が、
どのようなものであったと述べているのでしょうか。
聖書を見ていきたいと思います。
(※以下、エホバの証人の方でも分かるように、証人で
使われている「新世界訳聖書」から見ていきます。
通常のキリスト教の教会では「新改訳聖書」を使って
います。)
〇復活についての証言
・イエス・キリストの証言
まず、イエス・キリストは、死なれる前にご自身の死と復活に
ついて、人々に次のように語っています。
『そのため,ユダヤ人たちはイエスに言った。「こうしたことを
するからには,どんなしるしを見せてくれるのか」。
イエスは答えた。「この神殿を壊してみなさい。3日で
建て直します」。
ユダヤ人たちは言った。「この神殿は46年かけて
建てられたのに,3日で建て直すのか」。
しかし,イエスが語っていた神殿とは自分の体のことだった。
弟子たちは,イエスが生き返った時になって,イエスがよく
そう言っていたのを思い出した。
そして聖書とイエスが語った言葉を信じた。』
(新世界訳聖書:ヨハネの福音書2章18~22節)
一般的に、建物の建て直しや修理は、壊れる前の建物へ
復元するように行われます。
神殿を「壊しても3日で建て直す。」と言われていることを
考えますと、建て直される神殿は、当然以前の神殿と同じ形状で
建て直されるということです。
さて、この箇所で、イエス・キリストはご自分の肉体を神殿に
なぞらえて語っておられます。
そのことを考えますと、肉体を持っておられる
イエス・キリストが死なれた後、死ぬ前と同じく肉体を持った
姿で復活されると考えることができます。
・天使たちの証言
次に、イエス・キリストの死後にあった出来事について、
聖書は、次のように語っています。
『しかし,週の最初の日の朝とても早くに,女性たちは準備した
香料を持って墓に来た。ところが,墓の入り口から石が転がして
どけてあった。
中に入ってみると,主イエスの体が見当たらなかった。
当惑していると,何と,光り輝く衣服を着た2人の人が現れた。
女性たちが恐れて顔を上げずにいたので,2人は言った。
「なぜ,生きている者を墓の中で捜しているのですか。イエスは
ここにはいません。生き返りました。彼がガリラヤにいた時に
話したことを思い出しなさい。『人の子は必ず,罪深い人々に
引き渡されて杭に掛けられて死に,3日目に生き返る』と
言いました」。』
(新世界訳聖書:ルカの福音書24章1~7節)
女性の弟子たちが、イエス・キリストが埋葬された墓に行った
際に、イエス・キリストの肉体が無くなっているのを
発見しました。
「何で遺体が無くなっているのだろう?」
「遺体はどこに行ったのだろう?」・・・
そのようにとまどう彼女たちへの返答が「イエス・キリストが
生き返った。」という天使たちの言葉です。
もしも、イエス・キリストが肉体を持たずに、霊的なからだで
復活したのであれば、天使たちはこのような返答をするはずが
ありません。
これは、イエス・キリストが肉体を持って生き返ったことを
示しているのではないでしょうか。
・復活後のイエス・キリストと弟子たち
さらに聖書は、復活されたイエス・キリストと弟子たちとの
やり取りについて、以下のように記しています。
『こうしたことを話していたところ,当のイエスが皆の真ん中に
立ち,「あなたたちに平和がありますように」と言った。
しかし弟子たちは仰天して恐れ,自分たちは幻影を
見ているのだと思った。
それでイエスは言った。「なぜ動揺しているのですか。
なぜ心に疑いを抱くのですか。私の手と足を見なさい。
間違いなく私です。私に触り,見てみなさい。幻影であれば,
あなたたちが見ているような肉体はありません」。
このように言いながら,手と足を弟子たちに見せた。
それでも弟子たちがあまりの喜びと驚きで信じられずに
いると,イエスは,「そこに何か食べ物がありますか」と言った。
焼き魚を渡すと,イエスはそれを受け取り,皆の目の前で
食べた。(新世界訳聖書:ルカの福音書24章36~43節)
イエス・キリストは復活後に、ご自分の手足をお見せに
なりながら、ご自身が間違いなく復活したイエス・キリスト
本人であること、また、ご自身が肉体を持っていることを
はっきりと弟子たちに示されました。
また、もう一つの証拠として、弟子たちの目の前で食事を
されました。肉体を持たずして食事をすることはできません。
また、焼き魚が実際に無くなるということは、復活された
イエス・キリストと間違いなくお会いしたのだという、
大きな物的証拠となります。
これらの出来事は、イエス・キリストが肉体を持って
復活されたというはっきりとした証拠ではないでしょうか。
・イエス・キリストと使徒トマス
また、聖書は、さらに、復活後のイエス・キリストと
使徒トマスとのやり取りについて以下のように記しています。
『週の最初であるその日の遅く,弟子たちがユダヤ人たちへの
恐れのために戸に鍵を掛けていたのに,イエスが現れて皆の
真ん中に立ち,「あなたたちに平和がありますように」と
言った。そう言ってから,両手と脇腹を見せた。こうして
弟子たちは主を見て喜んだ。・・・
12人の1人で,双子と呼ばれるトマスは,イエスが現れた時,
その場にいなかった。それでほかの弟子たちはトマスに,
「私たちは主を見た!」と言っていた。
しかしトマスは言った。「その手にくぎの痕を見て,私の
指をくぎの痕に入れ,手をその脇腹に当ててみない限り,
決して信じない」。
8日後,弟子たちは再び室内にいて,トマスも一緒だった。
戸に鍵が掛かっていたのに,イエスが現れて皆の真ん中に
立ち,「あなたたちに平和がありますように」と言った。
次いでトマスに言った。「指でここを触り,私の手を見て,
私の脇腹に手を当てなさい。そして,疑うのをやめ,
信じなさい」。
それに対してトマスは言った。「私の主,私の神!」
イエスは言った。「私を見たので信じたのですか。
見なくても信じる人は幸福です」。
(新世界訳聖書:ヨハネの福音書20章19,20,24~29節)
使徒トマスは、復活されたイエス・キリストを実際に見て、
傷痕に触れなければ決して信じないと言いました。
ところが、イエス・キリストは、この頑なであったトマスの前に
現れ、ご自分の傷痕を示し、触れてみなさいと言われたのです。
頑なであったトマスは一転して、イエス・キリストの復活を
信じました。
このトマスの変化は、イエス・キリストが肉体を持って
復活されたことを、トマス自身が目の当たりにしたことにより
引き起こされました。
このことも、イエス・キリストが肉体を持って復活された
ことの大きな証拠です。
〇聖書が示す復活
さて、このように聖書を見ていくと、多くの箇所ではっきりと
イエス・キリストが肉体を持って復活されたということが
述べられており、イエス・キリストが霊的に復活したとは
語っていません。
また、イエス・キリストの復活については、聖書が述べている
通りに正しく理解することが、とても重要です。
なぜなら、聖書は、救いと復活に密接な関係があることを多くの
箇所で語っているからです。
『あなたは,イエスは主であると口で人々に伝え,神はイエスを
生き返らせたと心の中で信仰を抱くなら,救われるのです。』
(新世界訳聖書:ローマ10章9節)
『私が皆さんに伝えた最も大切な点の中に,私自身も学んだ
事柄があります。それは,聖書にある通りキリストが私たちの
罪のために死んでくださり,そして葬られ,聖書にある通り
3日目に生き返らされ,ケファの前に現れ,それから12人の前に
現れたことです。』
(新世界約聖書:Ⅰコリント15章3~5節)
どうか、聖書を開き、復活について聖書がどのように
語っているのか、ご自身の目で是非ご確認くださいますよう
お勧め致します。

