あるサラリーマンの証言
『空の空。すべては空。』 (聖書 伝道者の書1章2節)
これは、現在、愛知県岡崎市在住の山本さんが、体験した実話です。
『私は、とある商社の営業マンをしておりました。
私は、若いころから、仕事一筋で生きてきました。ところが、ある時、当
時19歳だった長男が、クリスチャンになってしまったのです。彼は、一生
懸命、私に、この世界を造られたまことの神様の話をしてきました。
しかし、私は、彼にこう言ってやりました。「クリスチャンになんかなっ
たら、商売なんぞできるか!」と・・・。
さて、私は、40年ほど会社で働いてきたのですが、ついに、私の定年
の時期がやってきました。ところが、会社は私に「もう一年、働いてくれ
ないか」というのです。私は、本当にうれしく思いました。
「これこそ、サラリーマンの勲章だ!」
しかし、一年は、あっという間に過ぎ、ついに、私が会社を去るべきと
きがやってきました。そして、その瞬間に、私が40年間ためてきた資料
や、仕事のノウハウは、すべて紙くずになってしまったのです。
私は、その後、家内と2年間、日本中を旅行して歩きました。しかし、
2年間もそのようなことをしていると、行くところもなくなり、3年目に
は、朝から晩まで、テレビを見続ける生活になってしまったのです。
あとは、ただ死ぬのを待つだけ・・・
私は、その時、心底思いました。
「むなしいなぁ・・・。
オレの人生、何だったんだ・・・。」
ところが、この言葉が転機となりました。
実は、家内は既に、クリスチャンになっていたのですが、私のこのつぶ
やきを愛知県の岡崎にいた長男に伝えたのです。長男夫婦は、私たちも岡
崎に来るようにと、強く説得し、ついに私も重い腰をあげて、大阪から岡
崎に引っ越したのです。
それから、1年の間、私は長男のいる教会に通っていました。そして、
ついに、私の目が開かれたのです。
私は、「神なしでも、いっぱしの人生を送ってきた!」と、思いこんで
いました。
しかし、それは、蜃気楼だったのです。錯覚だったのです。私には、実
は、何も残っていませんでした。
そして、かつて「クリスチャンになったら商売なんかできるか」とうそ
ぶいていた自分のような者のために、神の御子イエス・キリストが、十字
架にかかってくださっていたのです。イエス様が、十字架の上で、『父よ。
彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしてるのかが分かっていない
のです。』と言われたのは、実に私をさしてのことであったと分かったの
です。
私が今、唯一後悔していることは、なぜ、もっとはやく、イエス様を信
じなかったのかということです。』
さて、みなさん。みなさんの心の中には、満たされないむなしい思いはないでしょうか?
近年、増加している心の病の大きな原因は、むなしさであると言われています。
そして、その「むなしさ」は、物や金では、決して解決できないものです。
かつて、この世で最も知恵があった古代イスラエル王国の“ソロモン王”は、自分のしたいことを全部おこなった後、こう言いました。
『 空の空。すべては空。・・・・・
じつに、日の下で骨折った一切の労苦と思い煩いは、
人にとって何なのだろう。
その一生の間、その営みには悲痛と苛立ちがあり、
その心は夜も休まらない。これもまた空しい。』(聖書)
また、有名な数学者であり、哲学者、科学者でもあった“パスカル”は、このような言葉を残しています。
「すべての人の心には、神の形をした空白がある。この空白は、いかなるものによっても、満たすことができない。空白を満たす唯一の方法は、イエス・キリストを通して現わされた、創造主であられる神ご自身を受け入れることだけなのだ。」
私たち人間は、創造主なるまことの神様によって造られました。
ですから、まことの神様を信じ、神様に感謝して生きるべきなのに、その神様を無視し、人の手によって作られた、石や木でできた偶像を拝んでいるのです。
これが、むなしい、的外れな生き方の原因そのものなのです。
聖書は、それを『罪』と宣言しています。そして、その罪の道の最後は、永遠の燃える火の池の地獄なのです。(人間が死を恐れるのは、死後、裁きがあるのが分かるからです。)
しかし、それでもなお、神様は、人間を愛してくださり、ご自分のひとり子イエス・キリストをこの世界に遣わされたのです。
イエス様は、全ての人間の罪を背負われ、罪に対する全ての裁きを十字架で受けてくださいました。
このお方が、私たちの身代わりに死んでくださり、死後、3日目によみがえられたのです。これによって、イエス様こそ、まことの神、救い主であることが、証明されました。
誰でも、イエス・キリストを、自分の救い主と信じるなら、罪がゆるされ、地獄ではなく天国に行くことができるのです。
ぜひ、あなたも、神様のゆるしを受け入れ、むなしさと死の恐怖におびえる人生から救われますよう、心からお勧めいたします。
『人の子(キリスト)は、失われた者を捜して救うために来たのです。』
(聖書)