イエス様に出会う旅

  『 イエス様に出会う旅 』 

         

          ~ 女性クリスチャンの証し 島根県在住 ~     

              

           

      akifu.jpg

 

 

  私が「神様」という方を最初に考えたのは、高校生の時でした。

 

 

  その頃の私は、学校へ行くのも嫌、家へ帰るのも嫌…学校は

 

 

面白くない、家へ帰っても面白くない、何をしても面白くない…

 

 

そんな毎日でした。

 

 

 

 学校は、休んだり抜けだしたり、家では小さいころから頻繁に

 

 

起こる両親の喧嘩にうんざりし、なんで生まれてきたのかと

 

 

思うばかりでした。

 

 

s_hat.png

 

 

「生まれてきた意味があるのだろうか、生きていく意味って

 

 

何なんだろうか・・・。」と考えるようになりました。

 

 

placard.png

 

 

ある日、学校帰りの駅でプラカードを持った男性を見ました。

 

 

そこには「神の子、キリスト」と書かれていました。

 

 

「キリストを信じて救われなさい。」 とその男性は大きな声で語って

 

 

いました。

 

 

「“キリスト?”“神の子?”“学校で習った…?”」

 

 

疑問に思いながらも「神なんていない、いるなら私の人生楽しく

 

 

してよ!」と、横目に見ながら過ぎていきました。

 

 

翌日も、また翌日も、一ヶ月ほど その方の姿を見ながら帰宅して

 

 

いました。

 

 

 

しかし、日が経つにつれて「もし神がいるなら、私が生きている

 

 

意味を教えてほしい・・・。」と思うようになっていました。

 

 

s_visit_b04.png

 

 

そんな時、私の家を訪ねる方がいました。

 

 

その方は「人生の意味を考えませんか?」と言われてきました。

 

 

毎日、この先の人生について悩んでいた私に、タイムリーな話で

 

 

あったので、すぐに話を聞き始めました。

 

 

 この方は「エホバの証人」(「ものみの塔」という組織で、正統な

 

 

キリスト教の教えとは違い、組織独自の教えをもつ人々)  でした。

 

 

 彼ら「エホバの証人」では、「世界を創られたのは神様

 

 

(エホバ神)であって、後に神様は、この世界を一掃され新しい

 

 

世界(地上の楽園)を創られる…。この神様を信じれば新しい

 

 

世界(地上の楽園)に入れる。」と言われました。

 

 

 

 今まで聞いたことのない話に引き込まれ、すぐにその方と

 

 

学び始めました。

 

 

その当時、エホバの証人の方がどんな方か、何を語っているのか

 

 

ということを知ることはなく、これが、神様の言葉だと

 

 

思いました。

 

 

 熱心に世話をしてくださり、その人柄? に吸い込まれるような

 

 

感じさえしました。

 

 

 

 のちに、エホバの証人が語っている聖書の話は間違いで、そこに

 

 

人生の意味どころか、救いも何もないことが分かりました。

 

 

 

 学びを進めて2年ほどが過ぎた頃、次第に、エホバの証人の

 

 

教えに矛盾を感じるようになりました。

 

 

 

  s_hatena2.png

 

 

 

 疑問をぶつけると、

 

 

「そんなことは考えず、集会に参加しなさい。」 

 

 

とか

 

 

「他の本を読んではダメ!」

 

 

「ただ、与えられたものだけ見ていなさい!」

 

 

と言うばかり・・・。

 

 

 s_4092e7b3-936193.png

 

 

 「なぜ、すべてを知っておられる神様は、何も答えて

 

 

くれないのだろう、神様と私の間に、エホバの証人の方がいて、

 

 

神様と私はつながることができない・・・。」と思うように

 

 

なりました。

 

 

 それが、「神様のみこころなのか? 」とも思いました。

 

 

 私は小さいころから、保育士になるのが夢でした。

 

 

s_hoiku.png

 

 

 

 その夢も、

 

 

「神様の為に時間を使いなさい。」

 

 

「保育所なんて危険な場所だ。」

 

 

と反対されたことをきっかけに、この団体から出ることを

 

 

決めました。

 

 

 「悪魔がついた」とか「地獄へ落ちる」などと言われましたが

 

 

離れたのです。

 

 

s_yjimage3X4J02BQ.jpg

 

 

「神はいない、やっぱりいないのだ…。」と思いました。

 

 

 その後、念願だった保育士になり、仕事をし、やがて結婚

 

 

しました。

 

 

 36歳の時、私に「死」という問題が投げかけられました。

 

 

 自分の胸に、しこりがあることが分かったのです。

 

 

 受診の結果“乳がん”と診断されました。

 

 

 医師は「枯れ葉の散る頃には いない と思ってください・・・。」と

 

 

言われました。

 

 

s_yjimageFKND0708.jpg

 

 

この時6月…「枯れ葉が散る頃とは、11月? その時に死ぬ?

 

 

あと、どれくらいあるの・・・? それってどういうこと・・・?」と

 

 

死ぬことの意味が受け止められず、ただただ、同じことを繰り返し

 

 

考えるだけでした。

 

 

 

 医師には「やりたいことをして、食べたいものを食べ、行きたい

 

 

ところに行っておきなさい・・・。」と言われました。

 

 

 けれども、「やりたいことって何だろう…。親には、何て言えば

 

 

いいのだろう…。」など、いろいろ考えました。

 

 

 

 そして、自分の出した結論は「人は死ぬ前に、やりたいこと

 

 

なんてない!」ということでした。

 

 

 

 結局死ぬのですから・・・。

 

 

 

 死んだら、人は何もすることができないし、食べたいものを

 

 

食べてそれで終わり…。

 

 

 やりたいことをやってもそれで終わり…。

 

 

 会いたい人に会ってもそれで終わり………。

 

 

 

 そして、私の存在はこの世から消え、人々の記憶から消えて

  

 

いくのだと思いました。

 

 

 私は、再び人が生まれてきたことに何の意味があるのか、人が

 

 

死ぬことが何なのか考えましたが、結論を見いだす方法が

 

 

分からず、ただただ病院へ通い、検査を続け、死ぬ日を待つ

 

 

だけになりました。

 

 

 

s_fua1.jpg

 

 

「神なんていない。」と思っていた私でしたが、心の中では

 

 

「神様、助けて下さい!」と叫んでいました。

 

 

 

検査の為、仕事を休んでいた時、職場の友人から「聖書の話を

 

 

聞かない?」と誘われました。

 

 

 「“聖書?”って、また神様~? 」

 

 

 

 

 

 神様はいない、人が勝手に作って宗教に誘うだけの口実なんだと

 

 

思っていましたので断りました。

 

 

 ある日、二人の方が家を訪ねてきました。

 

 

 友人が集っている教会の牧師夫妻でした。

 

 

 仕事帰りで疲れていたので断りたかったのですが、友人の

 

 

紹介でもあったので、少しだけ話を聞くことにしました。

 

 

‟ 神様はいる!全てを創られたのは神様、その神様の

 

 

 ひとり子(イエス様)が私の罪の為に十字架にかかり

 

 

 死んでくださった。

 

 

 このことを信じるだけで、救われる!”

 

 

 という内容でした。

 

 

 信じない者は、地獄へ行くことも聞きました。

 

 

「神様? イエス様? 十字架? 罪? 救い? 地獄?

 

 

 さて、何のことでしょう…?」

 

 

 

 私には、関係のないことだと思いました。

 

 

 友人は、職場で聖書を開いては話をされ、時には、

 

 

メモに聖句書いて渡してくれました。

 

 

 あまりにしつこい?(その時は)ので、一度教会に

 

 

行って断ろうと足を運び、聖書の話しを聞きました。

 

 

 

 

 その時の話は、ほとんど覚えていないのですが、私はこの神様の

 

 

ことを知ることが残された時間(死ぬまで)にすることでは

 

 

ないかと思ったことを覚えています。

 

 

 

s_sunadokei-580x360.jpg

 

 

 

自分の罪を聖書から指摘され、罪はないと否定したこともあり

 

 

ました。

 

 

地球が丸いことも聖書から引用され、世界を創られた神様がいる

 

 

ことも考えました。

 

 

また、死を前にして自分の行き先をこの聖書から考えるようにも

 

 

なりました。

 

 

 

それから毎週教会に集い聖書の話しを聞いているうちに、私の

 

 

いのちはこの方(イエス様)にあると思うようになりました。

 

 

しかし、信じる方法が分からず(信じるだけなんですけど…)

 

 

何かをしなくちゃいけないとか、家の宗教(仏教)もあるし、

 

 

家族が何というかと思うと信じることに抵抗がありました。

 

 

 教会へ集い始めて3ヶ月ほどしたある日曜日の朝、教会へ行く

 

 

途中、聖句が浮かんできました。

 

 

ヨハネの福音書316節です。

 

 

『 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。

 

 

それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを

 

 

持つためである。』

 

 

 

jyuu.jpg

 

 

 

 まだ聖書の意味が分かる時ではなかったのですが、私が地獄へ

 

 

行くことは神様が望んでおられない、イエス様をただ信じる

 

 

だけで救われることが分かりました。

 

 

 

 その日の礼拝で私は、イエス・キリストを自分の救い主として

 

 

信じ、信じた者が行う聖餐式という儀式で、パンを取り杯を

 

 

受け取りました。

 

 

自分の罪も、イエス様が救い主であることも分かったのです。

 

 

心の中で、雲が去っていくのを感じたのと同時に、喜びが

 

 

沸き上がりました。

 

 

 

s_60a2315eaf1c1711268c0a50e59c3e7c.jpg

 

 

 

手術を待っていた私は、その後数回の検査の結果、“乳がん”の

 

 

しこりがなくなったことが分かりました。

 

 

 手術は取りやめ、その後は受診もなくなりました。

 

 

 

 嘘のような、まやかしのような話で、誤診だったのだと

 

 

言われればそうかもしれませんが、当初の検査では陽性であった

 

 

のは事実です。

 

 

 

  きっと、神様は“死”という大きな問題を私に与えられ、

 

 

そのことを通して、いのちについて、人生について、救いについて

 

 

考える機会を与えて下さったのだろうと思います。

 

 

 

意固地で心は固く、ねじ曲がった考え方の私には、大きな試練を

 

 

通らなければ、神様や救いを考えることはなかったのでしょう。

 

 

 

 その後、私の信仰生活が始まり、今は神様のみことばの中で

 

 

毎日を歩んでいます。

 

 

 

 私は、イエス・キリストの十字架と復活の話を、父にも

 

 

伝えました。

 

 

 父は、イエス様を信じ、神の家族に入れられ、喜びを持って、

 

 

また、死後の心配もなく生活しています。

 

 

 

 神様の御力は、すべての人に及んでいます。

 

 

 神様は、人間が誰一人として滅びることを望んでおられず、

 

 

ひとり子(イエス様)を遣わしそのひとり子は私たちすべての

 

 

罪を背負って罪の贖いの為に死んでくださったこと、また

 

 

三日目に死の力を打ち破ってよみがえられたこと、これらを

 

 

信じる者は永遠のいのちを与えられる、と聖書は語って

 

 

います。

 

 

 

 信じるだけなのです。

 

 

 

あなたも、ご自分の、ご家族のいのちをぜひこの方イエス様に

 

 

 

預けられてみてはいかがですか。

 

 

  いのちは地獄から天国に移されます。

 

 

 イエス様の約束は永遠です。

 

 

 

ぜひ、考えていだたきたいと思います。

 

 

 

私のイエス様に出会う旅は、いのちを通して、死を通して

 

 

考えることで旅を終えましたが、今はイエス様がお迎えに来て

 

 

下さるその時まで、信仰生活を歩む旅へと変わっています。

 

 

 

           s_7005.jpg